まえがき
学マス関連で盛り上がりを見せるアイマス界隈。こないだリリース日も決まったらしいね。
学マスとどう関わっていくか。
担当したいアイドルに出会えるか。
そこら辺はゲームが始まってから決めようと思うけど、あまりにも素晴らしい楽曲のオンパレードでついつい筆を執ってしまった。
厳選して1曲について語ってみようと思う。
最後まで見てやって下さい。
「月村 手毬」について
楽曲を語る前に「月村 手毬」という少女について書いていく。
まぁ、書いていくといったものの、彼女について語れることはほぼない。
単純に”私とあなたのスタートラインを一緒にしたい”ってだけの話です。
中等部ナンバーワンアイドルと呼ばれていた元エリート。クールでストイックな皮肉屋と思いきや、甘えん坊で怠け者なトラブルメーカーでもある。二面性のある少女。嫌いな自分と決別し、自分自身を好きでいるために、トップアイドルを目指している。
引用:月村 手毬 |(idolmaster-official.jp)
私が彼女について知っている情報は、現状これがすべて。先行配信されてる学マスコミュさえ見てないからね。
この情報を元に「Luna say maybe」という楽曲を語っていこうと思う。
感想
共感
まず何がスゴイって「共感力」がハンパない。
ここでいう「共感」ってのは「あ~、そういう気持ち分かるわ~」って意味じゃなく、「曲中の主人公になった気にさせられる」って意味での共感。
I say “私、⼤丈夫?”
Maybe, うまくやれるはず
ずっと⾛った息継ぎもしないまま
詰まった歌詞と畳みかける歌唱が印象的な本曲。
「ずっと⾛った息継ぎもしないまま」の詞の通り歌唱が走ってる印象あるけど、そこには一呼吸さえ惜しんでそうな焦燥が滲んでる。
その理由に思いを馳せると、それはサビに描かれている。
足りない、こんなんじゃ誰も愛せないの
止めない、止まることは知らないの言葉足らず、失くしてしまう物ばかりだ
Luna say maybe…
「言葉足らず失くしてしまったことへの恐怖」から来てる。
矢継ぎ早に言葉を並べ立てるのも納得なんだ。
言葉を吐き続けるのは、同じ過ちを二度と繰り返したくない彼女なりの努力。
本曲に感じる疾走感は、そっくりそのまま彼女の恐怖の度合いだ。
ってなことを考えてると、所々に聞こえる“ブレス”がたまらなく愛おしくなるんよね。水面で口をパクパクさせてる金魚みたいで。
学マスで初めて名前を知ったけど、小鹿さんの表現力がホントに素晴らしいんだ。
歌唱はもちろんのこと、語尾にブレスの位置、強弱。言葉の端々まで丁寧に歌っているような印象を受ける。
みんな好きだと思うけど、
「分かってる、分かってる、解ってる…わかってるよ! ごめんね。じれったい」
この”自暴自棄からの自己嫌悪”みたいな独白は、何度聴いても鳥肌立つね。
「これリアルで聴いたらどうなるんやろ」って今から危惧してるわ。
そのたどたどしさを助長するような「句読点の多い歌詞」ってのもいい味出してると思う。
字面だけ見てると、スゲーぎこちない。無理くりに捻り出してそう。
俺は初めてだよ。
句読点に愛おしさを感じたの。
この曲を初試聴した時に「初めてヨルシカ聴いた時の衝撃」を思い出したんよね。
陰のあるメロディアスなサウンドに内省的な歌詞。
なんとなく雰囲気似てるせいでもあるんだろうけど、歌の世界に引き込ませる力が尋常じゃない。ストーリーが直接脳内に流し込まれる。
何があったか分からんが、我が事のように気分が澱むし、他人事と思えないリアルがある。
「作詞・作曲の美波氏が手毬の強火なんじゃないか?」みたいな話も配信であったと思うけど、この曲で「月村手毬ヒストリー」とかいうありもしない記憶を脳内に流し込まれてる気がしてならねぇ。
冒頭述べた通り、私はこの子のことを全然知らない。
だけど、初試聴後にちょっと潤んだよね。
俺の頭の中に「月村手毬」が勝手に構築される訳。
全然知らん少女の”苦悩と決意”を、無理やりなぞらせてくるんだ。
マジでいい楽曲だわ。
準備
まぁ楽曲自体が素晴らしいのは前述の通り。
だが、よくよく考えると“入念な下ごしらえのおかげ”なんじゃねーかなって気も今更ながらしてる。
自分のことすら愛せないまま
君のこと守れるのかな
後述しますが、この曲は「自己肯定」がテーマだろうと思っています。
上記のフレーズもそうだし、プロフィールの文言もそう。「Luna say maybe」というタイトルだってそうだ。
この曲を聴けば「月村手毬って子は、どうしようもなく自己肯定感低い子なんやろな」って感想を自然に抱いちゃう。
そんなことを考えてると、関連動画の”コイツ”が、余裕綽々でこっち見てんすね。
学マス信号機の要、
花海咲季ソロ曲『Fighting My Way』が。
こんなブログを見に来てる方なのでもう聞いてらっしゃるかとは思いますが、ひたすらに強い楽曲。とても信号機のセンターの楽曲とは思えない。
「自己肯定?そんなもん標準装備ですけど?」
そんくらい言っててもおかしくない、確たる自分がある楽曲だ。
しかも、この曲。
何がスゴイって、
ちょっと待ってよなんか
誤解なら困っちゃうな
ねぇ 蹴落とすため 戦う訳ではないの誰にも絶対
負ける気なんかない
君に見せたいの 彼方の景色を
オプションで“上に立つ者の矜持”さえ備わってる。
「私は強いから、アンタの分まで背負ったげるわ」
そんくらい言うてる。
もう圧倒的に”強者側の考え”だよ。
この子に俺らのプロデュース要るんか?
“自己肯定の在り方”という点だけで見ると、両者は真逆。もう次元が違う。
かたや我が道をランウェイの如く闊歩してて、かたや恐れから逃げるようにひた走る。
吐息さえ妖艶を醸し出す赤がいて、息も絶え絶えに焦燥を謳う青がいる。
満を持して咲く花の前で、金魚が口パクパクさせてんの。
どっかで聞いたことあるな、そんな曲。
1日違いで投下されたら頭に残ってるし、イヤでも比べちゃうんよね。
フツーに聴いても物悲しい『Luna say maybe』が、より委縮して聞こえちゃうんだ。
考察
決別
感想も語ったところで、本曲の考察をしてみようと思う。
考察にあたり、改めてプロフィールを読んでみた。
「月村手毬」という子にとって「自分との決別」ってのは大事なことらしい。プロフィールに書いてあんだもん。きっと間違いない。
だけど不思議なことに、この曲を聴いて「決別」なんて言葉は全く以って感じない。歌詞だけ見ると対極だとさえ思える。
例えば、本曲のクライマックス。
待ってる、待っている
だから、この場所を大切にしたいの!
決別とは「いとまごいをして別れること」。
「さよなら」
「あばよ」
「二度とツラ見せんな」
そんな類のセリフが似合うシチュエーションだ。
だとすると、上記のパートは「決別」とは程遠いんじゃないだろうか?
だって「待っている」言うてんすよ?
本曲の最高潮で謳われるからには、きっとこのフレーズは本音のはず。根幹となるメッセージのはずなんだ。現に嘘をついているようにも聞こえないしね。
だけど、プロフィールに書いてある「自分との決別」。これも大事なことのはずなんだ。だって、数少ない開示情報にわざわざ入れ込むくらいなんだから。
この曲で描かれていること。
プロフに書かれていること。
この2つには矛盾がある。
私はそう感じる。
そんな矛盾は本曲の転換点。
2サビの歌詞で、より色濃く描かれている。
最低だ、もう一回やり直せるのなら
素直になりたい、なりたい、なりたいと
願ったジレンマ
素直に言葉を吐き続けてきた子が、「素直になってはならない理由」がある。
私の願いはジレンマなんだ。
そう謳ってる訳である。
この気づきが本曲のキモで、私が感じた矛盾の正体である。
正体
「なりたい自分がある」
それはとても素敵な願いだ。
だけど、それは言い換えると「いまの自分を捨てること」でもある。
乱暴な言い方をするなら、臭いものに蓋をする考え方。その蓋のことを、人は「否定」と呼んでんだ。
脱線するけど、巷には「自己肯定感を高める方法○○選」とか「ありのままの自分を愛しましょう」みたいな言葉が溢れてる。
私はそういうの目にする度にモヤっとする。
「ありのままを愛せない人間は欠陥品です」って言ってるようなもんでしょ。
「欠陥は直しましょう」なんて余計なお世話なんよ。
ぜんぜん”肯定”してくんないじゃん。
“否定”してんじゃん。って。
臭いものに蓋はしたくない。
けど、臭いものは臭い。
書いてて気づくけど支離滅裂。
無茶苦茶言うとる。
あちら立てればこちらが立たねぇ。
正しく「ジレンマ」だ。
「嫌いな自分と決別し、自分自身を好きでいるために」
この文章は破綻してる。
過去を捨てれば自分を好いていられる。
だけど、そんな自分を好きではいられない。
この少女は、そのジレンマに気づいてしまった。
これが戯曲ならなんて酷いストーリーだ。
進むことも戻ることもできやしない。
この願いは堂々巡り。
自分一人では解決しない。
この少女もそこらへん理解したんだろう。
だから、
このまま、1人じゃ何もできない
ただ一人、舞台に立っているだけの絶望を嘆いてる。
失礼なのは百も承知で言わせていただく。
私は、プロフィールに書いてある言葉は間違ってんじゃねーかなと思う。
この子がしたいのは「自分との決別」なんかじゃない。
肯定だ。
認めたいんだ。
愛したいんだ。
「月が綺麗だね」って言いたいし、言われたいんだ。
この”ジレンマへの気づき”が、本曲の大きな転換点。
月の裏側に、やっと触れた瞬間。
雨は止んだ。
月は語った。間違いなく。
「Luna say maybe」
証明
全部、決めるのは、自分次第
始めて背中をみた時に、覚悟を決めた。
彼女がこのジレンマに出した答えは「自身の客観視」。
「自己肯定のジレンマは、二人いれば解決でしょ」って考え。
トンチっぽはあるんだけど、これはアレっすね。
“私がミリオンで一二を争うほど琴線に触れた楽曲”と、奇しくも同じ構え。
好きな自分を 抱きしめられたら
『君だけの欠片』エミリースチュアート
きっと きっと
『君だけの欠片』で描かれている、「私と君の掛け合い」そのもの。
私に『Luna say maybe』がぶっ刺さるのもちかたないことなんですね。だって、言ってること一緒だもん。
少し前に「プロフィールは嘘じゃないか」なんて書いたけど、少々言い過ぎた。ここで撤回させていただきます。
「嫌いな自分と決別し、自分自身を好きでいるために、トップアイドルを目指している。」
この一文は、矛盾してる。
だけど、本音だ。
本曲で描かれてきたジレンマと何ら変わりない。
この子にとって、アイドルとは自己肯定の手段。
実像のために産まれた偶像。
アイドルであるから、嫌いな自分を愛したいと証明できて。
嫌いな自分がいるから、アイドルを続けることができる。
ステージはそんな二人の逢瀬の場。
愛を謳い、本音を白日の下にさらけ出す晴れ舞台。
歌はさながら恋文で、思いの丈を綴ってる。
今日もステージの上で証明(照明)して見せるから
月は1人じゃ、輝かない。
あとがき
「青は藍より出でて藍より青し」
私の知ってる”青”は、みな苦悩を抱えてた。
歌うこと以外は無駄だと思ってるような子もいたし、刻一刻と迫るリミットに焦る子もいた。律儀にうどんの面倒みてる余裕もあったけど。
だからこそ、胸に迫る唄が歌えるはずなんだ。
どす黒い塊があるから、それはそれは綺麗な”青”が滲むんだ。
学園アイドルマスターの青、月村 手毬。
彼女からどんなストーリーが出てくるんだろう。
どんな葛藤と成長があるんだろう。
Iより出でし青は、いったいどんな色合いだろうか。
今から楽しみでならない。
担当になるかどうかは、神様のいたずら次第。
せめて梅田のチケットをご用意してくださいませ。神様、仏様、バンナム様。
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