まえがき
学マスほったらかすこと数か月。たまには思い出そうかとサブスク開いて皿洗いしてたんです。そんだらドエライ化物に出くわしまして。
あまりの衝撃に引出物のマイセンは割れ、食器棚のロイヤルコペンハーゲンは塵と化しました。皿代稼ぐためにブログ書きます。どうぞよろしく。
作詞・作曲・編曲:Aira(Dream Monster)
「チルい歌」
手毬の新たな一面を魅せつける『Unhappy Light』。延々聞き続けられる優しさ包んだチルいナンバーだ。ぼく聴いた時たまげたんすよ、息遣いのあまりの表現力に。
「やさしくあたまを撫でてほしいの」の「や」の上目遣い。
「待ちくたびれる前に迎えに来て欲しいな」の「び」のとんがった唇。
「そっと抱きしめてくれたらいいな」の「な」のトロンとした瞼。
俺は手毬Pでもなんでもないんだけど、この曲にはまちがいなく手毬がいる。ウィスパーな歌唱のそれぞれに色々な手毬の表情がある。
甘えてくる手毬。頬ふくらませた手毬。あくびする手毬。猫なで声の手毬。ムニャムニャしてる手毬。ジト目の手毬。屈託ない笑顔の手毬。少し弱気な手毬。寝ぼけ眼の手毬。肩にもたれてくる手毬。次から次へとイマジナリー手毬が生えてきては、頭の中を荒らして消える。人の頭ん中と思って好き放題しよるな、この曲。
小鹿さんの”息遣い”がやっぱスゴくて、「こんなに息に気持ちって込められるんだ」って素直に感動した。もう声優というか息優です。息に優れとる。なに食ったらそんな素敵な吐息が出るのでしょう?青色吐息なら僕も負けてないけど。
『Luna say maybe』でも思ったけど、手毬ソロ曲の「他人の頭ん中に勝手に手毬ながし込むスキル」の高さは異常なんよ。学マス始まってまだ1年よ??よほど精密な「手毬像」が作詞家さんの中には多分ある。発注資料のついでに分厚い「手毬資料集」でも渡されてんじゃないか?という疑念は、この曲で確信に変わった。きっと日常が手毬だったに違いない……
「延々聞き続けられる優しさ包んだチルいナンバーだ」とか抜かしましたが前言撤回です。
チルいナンバーだぁぁ????羊の代わりに手毬で頭がいっぱいになる歌のどこにチルい要素があると????????
とにもかくにも手毬な本曲。
歌唱の素晴らしさはこの辺にして、歌詞について語っていきたい。
考察
タイトル
まずタイトルがいい、この曲。一通り聞き終わってから曲名を確認したんだけど……やられた。あの瞬間の怪訝そうなボクの表情を作詞家さんのデスクトップにしてほしいくらいだ。
『Unhappy Light(不幸な光)』
こんな優しい曲に「Unhappy」て。
最初こそ怪訝に思ったけども、久しぶりに学マス起動して納得した。かなり手毬コミュに沿ぐう内容だと思ったからだ。
手毬にはトップアイドルになるという夢があって、燐羽曰く、それは「太陽の真似事」というらしい。手毬にはトップアイドルを目指したきっかけがあって、手毬曰く、それは「造り物の翼」というらしい。
調子のって太陽めざして落っこちたイカロスよろしく、彼女が憧れた太陽は、決別したい自分を照らす誘蛾灯。過去の自分を炙り出す「Unhappy Light」だったと。
手毬にとっての「憧れ」
その「光と陰」
それを端的に表したタイトルは、実に手毬らしいひねくれた奥ゆかしさを秘めている。
日陰
ここからは歌詞を見ていこう。
(1番Aメロ)
それは毎日報われなくて
曇り空しか知らない目を
日向に向けた また切ない日々
タイトルにあった対比構造は、開始早々Aメロに登場する。この後に「守れる居場所だけがあればいい」という歌詞が来るんだけど、単に憧れの意にも聞こえるし、鬱屈した自身の正当化。日陰に居場所を探す言い訳にも聞こえる。
「太陽」の名を口にするな
裏切り者の名前だ
―ポルノグラフィティ『解放区』―
ポルノグラフィティ様のお言葉を借りるなら、彼女は生粋の「夜の国の住人」。安全な場所で夢みるだけでいい安全主義者。そんな彼女の性格を色濃く反映しているのがCメロ。私が一番好きなパートだ。
星が落ちて 夜が溶ける
ここにいるって感じたい
瞬く間に終わる今日に
たくさんの温もりが溢れてた
ぼく最初、このパートって『しあわせエンドロール』的なことだと思ってたんすよ。今日あった幸せがエンドロールのように夜空に投影される。そういう夕暮れのあったけぇ情景。知らない方は聴いてけ~。
だけどよく見ると違うな。
だってこれ、”夜の情景”じゃないもん。
「星が落ちて 夜が溶ける」
これって”朝焼け”の情景だ。朝焼けの中で「今日という日にたくさんの温もりがあった」と懐古するシチュエーションだ。よくよく考えるとすげー違和感あるな、これ。
地平から顔を覗かす太陽。
宵解けまじりの涼風。
だんだん白む稜線。
紫がかる雲。
朝焼けの美しさは平安時代から詠われてる。清々しい光景には清々しい言葉が似合う。僕ならきっと「今日、はじまったなぁ……」。そんなことをボソッとつぶやくだろう。
朝焼けに今日の終わりを想う。
別に間違っているとは思わないけど、なんとなく違和感を覚える。朝焼けにあるのは懐古じゃなくて期待感。今日というキャンバスに何を描くか。そういうドキドキがあるべきじゃないかと。
ただ、このミスマッチが主人公の気質に根差したものだとしたらどうだろう。僕はすごく腑に落ちてしまう。
夜の住人たる彼女の世界は、きっと夜を中心に回っている。昼が夜で夜が昼。そういうひねくれた時間軸。それならきっと「瞬く間に終わる夜」こそが、彼女にとっての「今日」じゃないんかな?
そう考ると先の情景、すごくあったけぇシーンだと思う。
瞬く間に終わる今日に
たくさんの温もりが溢れてた
彼女にとっての「今日」って暗がりでいい。ひとり分の居場所さえあればいい。寝るときは豆電球派。
そんな彼女が「たくさんの温もり」と。忌避すべき侵略者に対して「温もり」なんて名付けると。こいつはすげー違和感。そして涙ぐましい変化だ。
この曲はCメロ、Cメロです。
作詞者の中にいる”やたら解像度の高い手毬”が勝手にべしゃりだすのがCメロ。手毬が滲むのがCメロです。
手毬とはそういう子です。人の頭に布団と湯たんぽ持ってきて住みつく系アイドル。1匹みつけたら100匹いる。私の中にも、作詞家さんの中にも、そしてもちろん”貴方の中”にも。
それが「月村手毬」の魅力。
「月村手毬楽曲」の脅威なのです。
手毬のソロ曲として
むかし~♪ ギリシャのイカロスは~♪
小学生の頃、こんな始まりの曲を合唱した覚えがある。「やたらメロディーが怖かった」という思い出くらいしかないんだけど、不思議と20年近く経った今でも曲名は覚えてる。その頃から何となしに感じてたんかな、このお話に「傲慢」なんて相応しくないって。
曲名はたしか、
『勇気一つを友にして』――
「勇気」と「傲慢」の比翼で、彼女はどこまで行けるのだろう?
やっぱり手毬のソロ曲には「矛盾」やら「ジレンマ」なんて言葉が似合ってしまう。だからこそ、P欲が刺激されるってもんじゃないでしょうか。「私が支えなきゃ!」みたいな気持ちになっちゃうんじゃないでしょうか?
危なっかしい彼女が今後どうなっていくか。学マスも1年経ちましたし、今後も攻めたシナリオがお出しされることでしょう。僕は学マスのスピードに付いていけそうにないので、1周遅れくらいでのんびり楽しもうと思います。
それでは。
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