まえがき
2023.5.19〜21。
G7広島サミットが開催された。
去年まで広島に住んでいた身としては、
「スタジアムは工事止まってるんかな?」とか考えてしまいます。
世界的に見ても大きなG7というイベント。そのコラボプロジェクトとして”ポルノグラフィティ”が選ばれた事は嬉しい限りです。
大切な故郷広島が、世界にとっても大切な場所になることを願い歌った曲です。
『アビが鳴く』特設サイト 岡野 昭仁
平和。歌にするには大きすぎるテーマですが、自分の言葉にしてみたらこうなりました。
『アビが鳴く』特設サイト 新藤 晴一
晴一さんも仰っているように、
本曲のテーマは「平和」
1人で考えるには重たすぎるテーマですが、私なりの考察が出来ればいいなと思います。
考察の前に
「アビ」とはアビ科に属する鳥の総称。
広島の県鳥でもあり、広島には冬の渡り鳥として飛来する姿が見られていました。しかし、近年はその渡来数が減少し問題視されています。詳しくはこちらをどうぞ。
広島県民のくせして知らなかったんですが、勉強になりますね。
歌詞考察
いつく島
小さな船で波を切り裂き 赤い大鳥居をくぐれば
『アビが鳴く』
あらわれる水上の神殿 見上げて私は祈るよ
頭サビから始まる本曲。
固有名詞こそ出ていませんが、広島が誇る世界文化遺産「厳島神社」を思わせるフレーズが並びます。
事前に晴一さんが知っていたとは思いませんが、今回のサミットでも各国首脳陣が訪れていましたね。
イントロの右耳と左耳を行ったり来たりするサウンドも、”寄せては返す波”っぽく聴こえなくもないし。哀愁を帯びたメロディーのおかげか、寺社仏閣に感じるような静謐な印象を強く受ける。
特にそう思わせるのが、頭サビ終わりのギター入り。一気に曲の世界観に引き込まれる。
「ポルノはツインボーカル」
たまに耳にする晴一さんへの礼賛の言葉ですが、『アビが鳴く』という楽曲は間違いなくそうだと思ってるし、
「歌詞が無くてもいいんじゃないか?」
そう思える程に、音で語ってきてると感じます。
ギターはもちろんのこと、Bメロから強く主張してくるベースもグッと来ますね。
私のイヤホンが低音特化のせいでもあると思うけど、”喪失感”や”諦観”みたいな気怠さを助長してると思う。
歌詞についてはこれから語っていきますけど、歌詞が無くても「どこか遠くを見つめながら佇む主人公」みたいな情景を脳内に描ける、ノスタルジーな曲だと思う。
また、tasukuさんが音づくりに参加されてるのが良いですね。
直近のポルノを支えてるクリエイターでもありますが、tasukuさん自身も広島出身。
広島県民として根底に流れる”平和意識”みたいなものが共有できてるのが、この曲にとってはすごくプラスだなと思います。
なんか長々と書いてるけど、
メッチャ綺麗な曲
というのが私の感想です。
そんな綺麗な楽曲で、謳われるメッセージが、
世界がどんなに変わっても平和を祈る想いだけは
『アビが鳴く』
百年先に生まれる子らと同じでありますように
「歌詞考察」とか書いてますが、サビで繰り返し使われるあたり、御二人の願いはこの歌詞に集約されていると思います。
そこらへんを深堀りしていきましょう。
諸行無常
厳島神社を舞台にした、この楽曲。
今でこそ立派な建物が建っていますが、いまと同規模の社殿が造営されたのは平安時代。平清盛の手によるものとされています。
平清盛と言えば、平氏の棟梁。
「栄華を極めた一族で、源氏に討ち滅ぼされた一族」というのは中学校で習ったかと思います。
そんな平家の栄枯盛衰を描いた有名な文章がありますね。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
『平家物語』
要約すると
『この世の全ては絶えず変化していく。』
という意味になります。
「コイツ、いきなり何の話しとんじゃろ?」
って思ってらっしゃると思いますが、私が本曲に感じる悲壮感の原点はこれだと思っています。
本曲では“変わるモノ”と“変わらないモノ”の対比が至る所に出てきます。
先に挙げたサビも”変わる世界”と”不変の想い”の対比を謳っていたし、
あの夏を語れる者も 一人二人と去って
『アビが鳴く』
アビの鳴く声だけが千年に響き渡る
1番Aメロでも”空虚に響き続けるアビの鳴き声”と”時代と共に消えゆく語り部”の対比を描いてる。
この曲が広島に根差した曲であることを考えると、高齢化によって数が減少している「被爆体験伝承者」や「戦争体験者そのもの」が思い浮かびます。
雲が風に流れゆくように記憶も感情もずっと
『アビが鳴く』
同じ姿ではいられはしない 時間と旅をするの
語り部の減少に伴って、広島では「被爆体験伝承者養成事業」という取り組みが為されています。戦争を体験していない人たちに“次代の語り部”として活動してもらう取り組みです。
その取り組みは素晴らしいことだと思うし、後世に残していかないといけない事だと思う。
ただ、自分が体験していないことを第三者に伝える。その伝言ゲームは本当に難しいと思う。
自分の身に起きたことでさえ、時間と共に旅立つのが人間の性。その忘れっぽさ自体は必要なことで、でないと喪失や離別を経験した人は立ち直ることができない。
ただ、「変えてはならない想い」を「変えずに伝え続ける」。
その点については不便な性質、と言えます。
突然ですが、ここで連想ゲームをします。
ここまで読んでるという事はヒマだと思いますので、どうか参加してください。
あなたは全知全能の神様。
あなたの目の前に
「雲が風に流れゆくように 記憶も感情もずっと 同じ姿ではいられはしない」
この歌詞のように”変わってしまう記憶や感情に悩んでる人間”がいたとします。
憐れんだアナタは、その人間のために“時を止めて”あげました。
きっと、その行いはその人間の悩みを解決するはず。なぜなら、時が進まないということは“変わる想いに気を止む必要が無くなる”ということと同義だからです。
はい。
めでたし、めでたし。
……と思いたい所なんですが、別の問題が浮上すると思いませんか?
時が止まれば想いは崩れないでしょうが、船は進まないし、鳥は空を飛べない。
主人公は大海原で動けない漂流者に早変わり
そうなると思うんです。
この連想ゲームで何が言いたかったかっていうと、
記憶や感情が変わる事を恐れてたら、何も行動できない存在になってしまう
ということ。
動けば散り、止まれば届かない。
そんなどうしようもない二律背反だけど、それはポルノグラフィティが歌ってきた不変のメッセージ性だと思うんです。
機械仕掛けの神
「そう願うなら自分を変えろ」
『OLD VILLAGER』ポルノグラフィティ
というパターンでしょ?
“人柄”で20年飯食ってきた優しきポルノグラフィティですが、神様にはなぜか攻撃的です。
その理由は
「自分の道は自分で勝ち取るんじゃい」
そんなロックバンドらしい精神性から来てると思います。
神様は何もしてくれない。
すがったところで「そう願うなら自分を変えろ」とか「そういうもんだろって受け入れろ」と宣うだけ。
『アビが鳴く』の神様も同様で、
「神の島は黙ったまま 私も迎えてくれるの」
一言もしゃべりはしない。
紆余曲折経て、世界中みんな幸せ。
ある日突然、神様が世界を平和にしてくれる。
そんな”予定調和”や”機械仕掛けの神”はあり得ない。
期待するだけ無駄。
バカを見るのは自分たち。
だから、手の及ばないことに期待するな。
自分の事は自分でどうにかしろ。
人間が忘れやすいバカな生物だって話はしたけど、苦労したことや反復したことは記憶に留まりやすい生物でもある。
「苦労した分だけ成長する」なんてありふれた話だと思うけど、晴一さんの平和へのアプローチはこれに近いんじゃないかと思っています。
そう思わせる最たるフレーズがこれである。
荒れ狂う嵐の夜も水を掻く艪を離すなと
『アビが鳴く』
アビの鳴く声だけが私を励ました
荒れ狂う嵐の中で、艪を掻く意味はあまりない。帆を張って舵を取る方が効率的だし、疲れない。だけど、それは「他力本願」でしかなくて、再現性の低い方法なんよ。
それとは反対に「艪を掻く」という行為は、大きな労力を伴う。自分が漕いだ分だけしか進まず、良くも悪くも自分本位でしか進まない。非常に地道な作業。
だからこそ、
価値があるんだと。
苦労して進めることに意味がある。
“自分たちの手”で進めることに意味がある。
そう言いたいんじゃないかなーと思う訳です。
おとぎばなし
この“地道”って意志を強く感じるパートがあって、それがCメロです。
綺麗事が綺麗事となぜか揶揄される現実
『アビが鳴く』
おとぎの国に龍宮を見たいわけではなくって
万の言葉の距離を超えて行け この地上を語る綺麗事
ちょっと脱線して昭仁さんの歌唱の話になるけど、凄まじいね。
エフェクトが付いてるのか分かんないんですけど、霞みがかった歌声に物憂げな歌唱。
「綺麗事がぁ⤵」
って吐き捨てるカンジとか堪らん。
後半からクリアな音声に変わりますけど、私の最推し歌唱はここ!!
“ダミ声”というか”治安悪い”というか”濁点ついてそう”というか。
“ヤケクソ”と”決死の覚悟”の中間みたいな泥臭さに、昭仁さんの歌唱力が遺憾なく発揮されてると思ってる。
よ゙ぉ゙ろ゙ず゙ぅ゙の゙言゙葉゙ぁ゙の゙ぉ゙ぉ゙
ここだけで何回リピートしたことか。
本題に戻りまして。
冒頭に『平家物語』の話をしたけど、そう連想したのはCメロの歌詞のせいでもあって、
「現実」
「おとぎの国に龍宮」
「万の言葉(言の葉)」
これらの言葉に
『お伽草子』や『万葉集』のにほひを感じてしまったからです。
古典なんて国語の授業でしか触れたことありませんが、義務教育で習うくらいには知れ渡ってる。
「おとぎ話」なんて”現代に伝わる古典文学”。その代表例じゃないでしょうか。
形や言語は変わりましたが、「おとぎ話」は古から今に伝わる物語。
今昔をつなぐ時の旅人。
人から人へ受け継がれてきた文学の歩み。
地道な営みの結実です。
長くなりましたが、私の本曲に対する解釈をまとめるとこうなります。
想いや記憶は形を変えるし褪せていく。
だけど、それを怖がる必要なんてない。
おとぎ話だって、文字や内容が変わってるけど現在まで伝わってるでしょ?
本当に伝えたいモノは遠いお空の雲なんかには無くて、胸に刻まれてる。
「変わること」を恐れるのは、絶対に変えてはいけない想いがある証拠。
その恐怖心が抱けるうちは大丈夫よ。
「平和」なんて綺麗事が、簡単に実現しないのは分かってる。
だけど、歩みを止めてはいけない。
神様なんていやしないし、竜宮城の玉手箱なんてパンドラボックスだったじゃん。
地道に繋げることに意味があるんよ。
苦労して勝ち取ることが大事なんよ。
「平和を祈る想いだけは 百年先に生まれる子らと 同じでありますように」
この祈りが、百年後も、千年後も。
千代に八千代に、響くように。
あとがき
正直うまくまとめられなかったけど、「平和」がテーマならしょうがない。
私には荷が勝ちすぎる問題です。
とっ散らかっても仕方ないね。
私が推し事に現を抜かす生活を送れるのも、先人が築いてくれた「平和」のおかげで。
それを次代に引き継ぐのは現代に生きる我々の仕事。
“当たり前”が””当たり前であり続ける”こと。
それに敬意を表するのが
「有難う」という言葉でしょう。
こんな素晴らしい曲を与え下さったポルノグラフィティに、感謝の念とこんな祈りを捧げたいと思います。
厳島神社ライブしませんか?
セトリは『アビが鳴く』,『OLD VILLAGER』,『オレ、天使』で。
23.09.97.追記
まさか、ホンマにやるとは……。
お祈りしてみるもんやな。
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