まえがき
2026年1月11日、ポルノグラフィティ新曲『はみだし御免』がリリースされた。
「シェシェイ シェヘーン」の次は、「オー オオオー」の時代。今年のポルノグラフィティ様も、供給が激しそうで何よりです。
作詞・作曲:新藤 晴一
感想
本曲を初めて浴びたのはロマポル現地。
鬱蒼としたロックサウンドに、厭世的な歌詞。ブレイクのキモチ良さ。そして初見殺し極まる「御免」 の破壊力。
ライブのすべてを持ってかれた、と言っていいくらいには心奪われた楽曲だった。
リリースされて1週間、自分なりに「何故この曲がこんなにもカッケーのか?」について考えをまとめてみた。理由は大きく3つあんじゃないかと思います。
1.背中
出典を忘れましたが、「背中曲」というジャンルがある。背中を押されるとか、背中をさすってくれるとかではなく、「背中そのもの」を描いた曲をそう呼ぶらしい。
ポルノにもいくつかの「背中曲」がある。
たとえば、
あなたに見せる顔が 笑ってりゃ
涙など人知れず 背中で流せばいい「仕事とあたしのどちらが大切なの?」
涙を浮かべて問われた日もある
そりゃもちろん君さ
そう言ってドアを出てきた
パッと思いつくのはここらへんだろうか。僕が死ぬほど好きな2曲なんですが。
冒頭に書いた定義からはみ出していますが、「背中曲」というジャンルは背中のように幅が広い。直接描写がなくとも”背中”を感じられれば、それは立派な「背中曲」である。
たとえば『Working men blues』。
ここに背中の描写は無い。無いんだけど、ここには背中があるんです。なぜなら
「仕事とあたしのどちらが大切なの?」
紋切り型のクエスチョンに対して、アンサーを放ったのは
(そりゃもちろん君さ)
お口ではなく、ドアを出ていった”背中”だからだ。
「背中で語る姿」はいつの時代も美しい。そこには”大事なものを軽々に語らない”、日本人的美徳があるからだ。だから「背中曲」もいつの時代にも美しく、『はみだし御免』もそういった楽曲だなと思う。
楽曲を通じて描かれている「世間様とのギャップ」という自覚。それでもなお、はみ出してしまう自我。
多くを語らず、ただ離れていく背中。そこに映るのは、まさに『Working men blues』に映し出された悲哀であり使命感ではないだろうか。
まだ見れていないけれど、

タイアップアニメや原作小説もまた、そういった作品なんじゃないかと思う。
読みたい意志はあんだけどね。なかなか図書館から「予約完了メール」が届かないんすよ。ポルノバブル恐るべし。あと、このシリーズめちゃくちゃ長ぇぇ。
2.御免
ってなことを考えると、そもそも「御免」という言葉そのものが「背中」を表していることに気づいた。
「御免」の起源は古く、平安時代末期まで遡る。
かの偉丈夫”武蔵坊弁慶”が、死してなお敵軍の前に立ち塞がった折、その背中を見た敵軍総大将”藤原泰衡”がいたく感激し、その背中に敬意を表して「御免」と表記したのが由来である。
なお余談ではあるが、この出来事は”弁慶の立ち往生”として後世に広く知れ渡っている。
『100本刺さっても大丈夫 ~武蔵坊弁慶の歴史~』民明書房
このように「御免」とは、「背中」の象形化であり尊敬語なのです。
その証拠に見てくださいよ。
免
ほら、めっちゃ背中っぽいじゃん?誇張された広背筋っぽいじゃん?「5番の背中に御免被りた~い!」みたいなボディビル大会の掛け声ありそうじゃん?そんくらい上半身が肉々しいじゃん?
という訳で「免」は背中です。背中とは「免」のことです。ご理解いただけたでしょうか?
仮にご理解いただけなかったとしても構いません。百歩譲って「免」が背中ではないとしても、ちゃんと「御免」という言葉はカッコいいし背中です。
晴一さんも言及していましたが、「御免/ゴメン」は同根であれどニュアンスが違う。「御免」の根本は「許可(する人への敬意含む)」である。詳しくはこちらを。

要は「(あなた様にとって迷惑千万極まることと存じておりますが)許してください」のニュアンスだ。その最たる例が「切捨御免」じゃないかな。
「(あなた様にとって最も大事な”御命”を頂戴しますが、そんなものより私の”誉れ”の方が大事ですし、お上にも許可してもらっておりますので、切り捨てることを)許してください」
だからね。
()の中が長ぇし、そんなことが許されて良い訳ないんだけど、それがまかり通っていたのが江戸の世。詳しくは『シグルイ』でも読んでね。うどん玉が食べられなくなる名作だよ。
「御免」
ポルノ界隈にとってセンセーショナルな言葉になったけど、そもそもそれだけ魅力の詰まった言葉なんだなと思う。
“謙虚な傲岸不遜”みたいな矛盾を孕んでいて、さらにハイコンテクストでもある。さらに言えば、多くを語らない、みたいな価値観って……それもう”背中”じゃん?実際「御免」には背中が似合うしね。
とにかく「御免」という言葉はカッコいいし背中なのです。
3.抜け感
『はみだし御免』はカッコいい。濡れるほどカッコいい。「僕の姫始めはこの曲だった」と言ってもいいくらいには濡れた。
だけども、ただカッコいいだけじゃないのが“本曲最大の魅力”だと思っています。やれ「背中」だの、やれ「御免」だのは枝葉の美しさに過ぎません。
死ぬほどカッコいいのに、どことなくダサい。
“抜け感のあるロックナンバー”であることが、私にとって最大のぶっ刺さりポイントである。
孤独を気取っているわけじゃないけれど
はみだしてしまう
僕は「御免」に負けず劣らず、2番Bメロの「はみだしてしまう」に惚れている。すごく親近感を覚える情けない響きを感じるからだ。
ここに限った話ではない。これだけ攻撃的なサウンドに載せた言葉は、どれも少々心許ないものに聞こえる。
口を閉じれば「愛想が悪い」と罵られ、引き攣り笑えば誰彼にも舐められる。勇気を振り絞って自己開示すれば迷惑がられて、挙句の果てには抜き足、差し足、忍び足の弱腰ムーブ。
豪放磊落、大胆不敵、自由闊達……
そんな言葉とは似ても似つかない、右往左往しているキョロ充の姿がここにはある。これだけカッケー音が鳴り響く中で、この物語の主人公はひどくみすぼらしく描写されている。
はないちもんめ 強さが欲しい
おまえにゃやらぬ 鬼がいるからよ
だからこそ、この一節にすごくグッときた。あのライブが”そういうライブだった”せいもあるだろうけど、きっとこの曲も”その続き”なんだなと思った。
世間様に重ねようとして、それでもはみだしてしまうもの。そういうものに「強さ」だとか「鬼」ってヤツは宿るのだ。
この曲が”カッケー曲”に留まらない”大衆音楽”として成立しているのは、そういうトコなんだと思う。「俺のことか」って思わせる共感力と、「付いていきたい」と思わせる力強さがある。
そんなことを考えると、いつぞやの神様はド正論を仰っていたんじゃないかな。沈黙してたんじゃなくて、知ってただけなんじゃない?
新しい景色が見たい
「そう願うなら自分を変えろ」というパターンでしょ?
だって、もう成就してんじゃん。
願う背中はいつだって、強く美しいのだから。



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