まえがき
NHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』の主題歌として書き下ろされた新曲。
本ブログでback numberについて歌詞考察するのは今回が初。
ちなみに私はドラマ見ていない勢です。
なんか、朝ドラって食指が伸びないというか。
私の属性にあってない様な気がしますが、『アイラブユー』沁み込ますためにも見た方が良いんでしょうね。
とりあえず分かる事は、
福原遥が可愛い。
ただただ可愛い。
それだけです。
私の小学生時代の夕方のルーティーン
『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』をどうしても思い出してしまいます。
歌詞考察
考察の前に
本曲は”backnumber”に”小林武史”の加わった楽曲。
小林氏と言えば
『手紙』,『瞬き』,『ハッピーエンド』
『クリスマスソング』,『ヒロイン』
などなど。
backnumberの代表曲に数多く携わっています。
ポルノグラフィティに本間昭光氏がいるように。
back numberと切っても切り離せないのが小林氏と言えます。
タイトル
『I Love You』でもなく、
『あいらぶゆー』でもなく、
『愛してる』でもなく、
『アイラブユー』。
『I Love You』だと少し小洒落た。
『あいらぶゆー』だとなんか能天気そうな。
『愛してる』だと生真面目そうな。
それぞれ似たような言葉ですが、伝わる印象は少し違ってきます。
変に取り繕うわけでもなく自然体で。
「愛してる」なんて口に出すほどではないけど、いてくれる事に感謝している。
そんな些細な愛情を、
『アイラブユー』というタイトルに感じることができます。
肩肘張ってないけど緩めすぎてもいない、くらいのニュアンスですかね。
世間一般から見て”恋愛ソング”のイメージが強い彼ら。
恋愛経験の乏しい私でさえ、その切ないメロディーとありありと情景が思い浮かぶ歌詞に、感情を大きく揺さぶられます。
ただ、恋愛ソング以外にも数多くの名曲があります。
私が特に好きなのは、
『光の街』とか『ささえる人の歌』などの楽曲。
あえて言うとすると、
「日常系」みたいな曲ですかね。
感謝、慰労、心配、安堵。
声を張り上げる程ではないけれど、たしかに存在している想い。
激情とまでは言えない、小さな感情。
誰しもが持っている。
だけど、中々言い出せない感情達に。
メロディーを着せ、歌詞で飾り、私たちの心の奥底に染み渡らせるようにやさしく奏でる。
本曲はそんな曲だと思っています。
毎朝流れるテレビドラマ。街の弁当屋のマカロニサラダ。自販機で売られているペットボトルのサイダー。コンビニで買ったセロハンテープ。
当然のようにそこに用意されているので忘れてしまいそうですが、これらはすべて誰かが時間をかけ、こだわって、頭を抱えて、作り出されたものです。考えすぎて胃が痛くなっちゃった人もいたかもしれない。想(おも)いにしても愛にしても、本来形の無(な)いものですが、本当はいつも目にしていて、触れているのかもしれません。
『舞いあがれ!』というすばらしいこだわりと愛の塊に、その一部として関われる事(こと)をうれしく思います。
(清水依与吏)
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朝ドラ主題歌が決定した際の依与吏さんのコメント。
何気なく過ぎていくささやかな日常に題名をつけるように。
依与吏さんはありふれた当たり前に、
『アイラブユー』という言葉をつけられているようです。
1番
公園の落ち葉が舞って
飛び方を教えてくれている
親切にどうも 僕もそんなふうに
軽やかでいられたら
寒風吹き荒ぶ秋口の公園。
風に舞い上がれ!している落ち葉に向かって、飛び方を教えてくれていることに感謝しています。
感謝とは言いますが、
「こんな寒い日に何も考えんとヒラヒラ飛びやがって。のんきなもんだなぁ……。」
くらいの、侮蔑というか諦念みたいな。
うらめしい心理描写に聞こえます。
本当に感謝しているのであれば、
わざわざ「親切にどうも」なんて言わないでしょう。
「親切にどうもありがとうございます!!!!(キラキラ)」
ではなく、
「はいはい。 親切にどーも。はぁ…(ため息)」
ってかんじ。
冒頭の風景描写と相まって、鬱っぽい、落ち込んでいる雰囲気です。
横切った猫に 不安を打ち明けながら
ああ 君に会いたくなる
小学生にトイレの場所を聞いたら、不審者情報として発信される昨今。
どう見ても道端の猫に愚痴る人がいたら、目合わせちゃだめよってなりそう。
横切った猫でも誰でもいいから。
誰かに思いの内を吐露したい。
先に述べたように、そんな主人公の思い悩んだ様子が読み取れます。
そんな思い悩む主人公の悩みの種がここで明かされます。
「ああ 君に会いたくなる」
音源では「君に会いたくなる」の部分が、かなり低くなっていますね。
呟くような、思い返すような。
猫に言い聞かすような雰囲気ではなく、不意に漏れ出る。もしくは漏れ出てすらいない。そんな弱弱しい歌い方です。
寒くなってくると、「人肌が恋しくなる」なんて言います。
back numberの楽曲において
“寒さ”と”片思い”のコンビネーションは今更書く必要がないほどに親和性が高いでしょう。
歴代の名曲同様に肌寒くなってきた秋・冬の描写と、己の内に眠る思いの熱さ。
その対比が本曲でも歌われています。
落ち葉の動きに苛立ちを覚え、「君に会いたくなる……」なんて他人行儀な言い方になるのも。
「私」も「君」に対して、どこか踏ん切りがついていない。
自分の思いとは裏腹に行動できていない「私」の気持ちの表れ。
ああ もどかしくなる。
2番
偶然と運命の違いは
君の顔に書いてあって
人生の意味は いつか君がくれた
飴の中に入ってた
君の周りに浮かんだものに触れて
ああ 何を作れるだろう
1番サビは最後にまとめるので割愛。
2番は清水節というか、依与吏節というか、back number節というか。
“back number”が詰まったフレーズが並びます。
「偶然」と「運命」。
当たり前のように聞く言葉ですが、Wikipedia大先生によると以下の通り。
偶然
必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは起こらないこともありえた出来事のこと
偶然 – Wikipedia
運命
人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力
運命 – Wikipedia
2つの単語を分かつのは、
その必然性の有無になります。
運命を”敷かれたレール”とするのであれば、
偶然は”そのレールに置かれた石”(置き石はダメ。ゼッタイ。)。
そのレールの上を走る以外の選択肢や意思が介在する余地はなく、石を砕きながら時に止まり、否応なしに突き進むのみ。
誰もが生まれてから死ぬまで、敷かれたレールの上を走り続けています。
この曲の「私」もそんな人間の一人ですが、
「何故、走るのか?」
「どこに向かって走っているのか?」
レールの上にいながら。
勝手に乗せられているからこそ。
走る事=「人生の意味」について分からない。
路頭に迷っている状態の「私」がいたのでしょう。
そんな「私」の前に表れたのが、「君」。
「君」は「私」に、
「人生の意味」を教えてくれます。
人が何かに思い悩む時、自分一人で解決することは少ないでしょう。
少し考えて解決することであれば、それは”困難”や”苦悩”とは言えません。
大概、その解決の傍らには「誰か」の存在があります。
それは恋人からの励ましだったり、親友の何気ない一言だったり、ネットの海に揺蕩う匿名の文字だったり。
形は様々ですが、「誰か」がいることは共通しています。
「私」にとっての誰かが「君」。
「君」の人生を謳歌するように生き生きとした横顔や、跳ねるように口から飛び出すフレーズ。
「君」の関わるすべてが「飴玉」のようにキラキラと輝いて見える。
そんな「私」の様子が伺えます。
君が触れたもの 全部が優しく思えた
『雨と僕の話』back number
例外は僕だけ もう君は見えない
君の頼んだものの方がさ
『チェックのワンピース』back number
なんでも美味しかったり
いつも君の方が正しかったし
別れも仕方ないのだろう
依与吏さんはこういうニュアンスの歌詞をよく歌います。
何もかもを肯定できるほどに、魅力的に映る相手。
そんな魅力的な相手に、不釣り合いな私。
そんな相手アゲの心情と自分サゲの心情が入り混じる。
非常に生臭い、綺麗ごとじゃない歌詞。
個人的には刺さります。
「人生の意味」という
人生における至上命令とも言える問い。
その答えに導いてくれた「君」に対する感謝と畏敬の念は計り知れません。
具体的には書きませんが
『舞いあがれ!』の作中。
主人公である”舞”が様々な悩みを抱えながらも、人に触れ、風景を見て、物に惹かれ。
自分の生きる道、意味を見つけます。
朝ドラのために書き下ろされた本曲。
その内容が如実に表れている部分だと思います。
どれも些細で 頼りない決意で
僕の世界の模様はできてる
オシャレではないけど 唯一のダサさで
君が笑えたらいい
本曲で最も好きなフレーズ。
もうどこ見ても好き。泣いちゃう。
冒頭で
『back numberの「日常系」の曲が 好きなんです』と申しました。
ただ、それと同じくらいに
「ちょいダサい男」の曲も好きなんです。
『世田谷ラブストーリー』,
『ゆめなのであれば』,
『僕は君の事が好きだけど君は僕を別に好きじゃないみたい』とか。
そんな私の心にぶっ刺さる
「ダサくて頼りない僕」の姿が、このサビで描かれています。
正確に言うと
「ダサくて頼りない僕が少しだけ前に進む姿」。
自分らしさなんてきっと
『黒い猫の歌』back number
思いついたり流されたり
探し続けて歩いたその
足跡の話だから
「君」に会うまでの「私」であれば、
「こんなみっともない模様なんて 人に見せられない」なんて思っていたことでしょう。
“コンプレックス”と言い換えてもいいかもしれません。
そんな自己肯定感低めの「私」。
行ったり来たりの後ろめたいであろう道のりを歩んできた「私」が、
「オシャレではないけど 唯一のダサさで君が笑えたらいい」
と、自分のコンプレックスを前向きに捉えている。
誰かを笑顔にできる武器と捉えている。
その成長ぶりに胸にこみ上げるものがあります。
澄み渡る青空も綺麗ではありますが、複雑怪奇なグラデーションを織り成す空も、趣向の異なる美しさを持っています。
淡く乱雑で、赤も青も黄色も混ざった、形も色もグチャグチャな模様。
言い換えれば、どこにもない模様で、何とも完全に重なり合う事のないレール。
それぞれの持つ
「私色の模様」を誇らしく思わせてくれる。
愛の詰まった歌詞です。
僕の中の君 君の中の僕
きっと同じじゃないけど
駅前のパン屋と 踏切の閉まる音
ああ 君に会いたくなる
実際のところ、back numberの歌詞通りの情景がピタリと当てはまる人は少数でしょう。
勝手な憶測ですけどね……。
少なくとも田舎育ちの私に、「駅前のパン屋」なんてオシャレワードに共感できるところは皆無です。
それでも
「back numberの歌詞に共感する!!」って人は、かなり多いと思います。
私だって、その一人。
何故、共感してしまうのか?と考えると、依与吏さんが伝えたいのは歌詞に掛かれている風景描写ではなく、“そこにあったはずの感情”を描いているから。
いま“あるもの”を描いて、
いま”ないもの”を際立たせる。
という情景描写を依与吏さんはよく使われます。
無くなったものに思いを馳せるとき。
胸の奥がざわめき、チクリと胸を指す痛みがあるはず。
まるで、「まだここに残っている」と言わんばかりに意地悪く。
そんな感情が「喪失感」と言える感情の一端。
誰しもが大なり小なり経験する喪失感を描くことで、多くの人の感情を揺さぶる歌になります。
映画館に向かう上りのエスカレーター。
仕事終わりに見るスマホのホーム画面。
不意に目に飛び込むカレンダーの花丸。
喪失感を感じるシチュエーションは人それぞれ。
共通して言えそうなのは、
“不意に無くなってしまったもの”に触れた時。
そんな感情に訴える歌詞だからこそ、受け取った各々が“今の自分から無くなったもの”を、back numberの歌詞に重ねる。
だからこそ、多くの人に支持される曲になるんだろうと思います。
今僕の中で大切なものと
『だいじなこと』back number
今の君にとってかけがえのないものが
同じじゃなくたって
それでいいと思うんだ
back number初となる配信ライブになった
「back number live film 2020 ‘MAHOGANY’」
その中で歌われた
『だいじなこと』という楽曲。
それまで特に思い入れの無い楽曲でしたが、言い聞かすような依与吏さんの歌声とシルエットになる照明の演出によって、非常に印象深い楽曲になってしまいました。
“コロナ禍”という抑圧された日常。
今でも続く
「自分とは違うものを徹底的に潰す」みたいな排他的な光景が、そこかしこに溢れていました。
そんな荒んだ世にあって、それぞれの思いを認める。それぞれの価値観を認め合う。
そんな当たり前のこと、「だいじなこと」を。
あのタイミングで歌った。
back numberが伝えたかった1番のメッセージと私は捉えました。
この曲においてもお互いの感じ方は違うという事を理解しているし、尊重しています。
離れ離れになってしまっている。
簡単には会えないことも理解している。
それでも、
「ああ 君に会いたくなる」
溢れる思いを止めることはできません。
いつものパン屋に、いつもの踏切。
パンを楽しそうに選ぶ姿も、踏切の待ち時間も楽しかったでしょう。
そんな当たり前にあったものが、今はない。
そんなくすんだ世界にたたずむ、「私」の悲壮感が手に取るように伝わります。
サビ
どんな言葉が 願いが 景色が
君を笑顔に幸せにするだろう
地図なんかないけど 歩いて 探して
君に渡せたらいい
道のりと時間を 花束に変えて
君に渡せたらいい
サビに描かれている言葉は、すべて「君」に向けた言葉。
一から十まで、君一色。役満。
目的地を示す地図なんてありませんが、旅をすることの意味は明確です。
「君を笑顔に幸せにする」。
ただ、それだけ。
だから、色々な所に行って、色々な物を見て、色々なことに触れて。
「君」が笑ってくれそうなダサさに、さらに磨きをかける。(ダサさに磨きをかけるとは……?)
そんな「私」だけの模様を、「花束」に例えて「君」に渡すことを誓います。
ジャケット写真を見てみると、花束を連想させます。
ただ、持ち手はアイスクリームのコーン。
美的感覚に自信はありませんが、花も花束っぽくない。ちょっと変な気がします。
ただ、「私」のつくる花束であるなら、納得です。
丹精込めて整えた”ダサい花束”に、きっと喜んでくれることでしょう。
あとがき
冒頭述べたように、この曲は「ラブソング」でもあり「日常系」。
本曲においても、「私」と「君」の関係性は一貫して描かれていません。
恋人とも取れるし、家族とも取れるし、親友とも取れるし。
この曲を聴いた人が、「君」に何を思い浮かべるかはそれぞれ。
ただ、その全てに愛情が。
口に出してこれなかった「アイラブユー」があることは間違いないでしょう。
「有ることが難しい」と書いて、「有難う」。
当たり前にあるだけで、それは本来感謝すべき事柄です。
たまには
「アイラブユー」でも「有難う」でも。
大事に思う「君」に、伝えてみませんか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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