『冠菊』歌詞考察

学マス
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まえがき

「冠菊」

なんてカッコいい言葉だろう。一生に一度でいいから叫んでみたいくらいカッコいい。俺がジャンプキャラだったら間違いなく必殺技に据えてるくらいカッコいい。そんくらいカッコいい。

そんなカッコいい冠菊、出自は花火用語である。「地上まで尾を引くほどに燃焼時間が長い花火」のことをそう呼ぶらしい。花火大会のフィナーレによく見る枝垂れ柳みたいなヤツ。あれのことです。

『キミとセミブルー』から始まった学マスの夏。ツアーも始まり大盛況ですが、そんな夏をさらにブチあげるのがこの曲。今回考察する『冠菊』になります。

最後までよろしく〜。

考察

考察の前に

クレジットはこの通り。

作詞:大山恭子,作曲:早川博隆・河原レオ,編曲:河原レオ

なんだろう、すごく🐊ワニワニ🐊……じゃなくてワクワクする並び。去年の今頃にミリオンでリリースされて話題をさらった『電波感傷』コンビの再来である。これは心して掛からねば。置いてくのでヒマなら聞いてみて下さい。

『電波感傷』も踊り狂えそうなダンスナンバーだったけど、さらに和ロックの要素が加わったのが本曲。俺は日本人でよかった。鼓が震え、弦が鳴る。ただそれだけで私のジャパニズムは騒ぎ出す。

和洋新旧折衷。古き良き和楽器の音色にEDMを添えて。時代と国境を超えるグローバルサウンド。雪崩れ込むのは咽せ返る熱量。夏祭りをたやすく想起させる楽曲だ。鬱陶しいほどのアツさ。ホンマ好き。

これだけでも夏まっしぐらのアチアチなんだけど、それだけで終わらないのがこの曲の魅力。

物憂げな歌詞がこれまた美しい。

比喩表現の多さ、婉曲した物言い。至る所に日本語らしい奥ゆかしさがあって、余白に溢れてる。ぶっちゃけ解釈が難しい。あくまで一個人の意見として話半分で受け取ってほしい。

目合い

夏祭りを舞台にした『冠菊』のシチュエーション。歌詞に散らばってる言葉も「祭り」や「花火」に類する言葉が並ぶ。ただ歌詞を繰り返し読んでると、それらとは別に共通したモノがあることに気づく。

暗闇に咲く葛藤と見つめ合っていたい

木下闇からのぞく 裏腹な眼差しは
何を見ていたの?

第三者目線じゃ 取るに足らない瞬間が
たまらなく愛おしいの

「目」である、目。
英語で言うなら「Eye」。yeah-

花火を見つめる”私”。裏腹な眼差しを向ける”君”。取るに足らない目線の”第三者”。そもそも歌の始まりと終わりが「焼きつけて」、「目をそらさないで」。これである。

「誰」が「何」に「どんな」視線を送っているか。

曲中の至る所でその行方を描いている。

この曲は「視線の物語」なんだと、私は思う。

本記事では、その視点から『冠菊』について考察してみる。

目逢い

アイマスには古くから伝わる名フレーズがある。

「目と目が逢う 瞬間好きだと気付いた」

ややネタっぽい名曲「目が逢う瞬間」の1フレーズである。

目と目が逢う。
するとそこには、愛が生まれる。

そう謳ったフレーズだ。

これを前提に、改めて『冠菊』の歌詞を眺めてみよう。

前述のとおり、曲中ではいくつもの視線が交錯する。

ただ「目と目が合う瞬間」ってのは、

「暗闇に咲く葛藤と見つめ合っていたい」

この瞬間しかない。

夜空に咲く「花火」。
 に重ねた「葛藤」。
  を見る「私」。

瞬間ーー

「感じさせてよ もっと愛を」

歌詞にも書かれているけど、間違いなくここには愛が芽生えている。

この曲はラブソングなんだと思う。

「私」から「私の葛藤」へ向けたラブソング。

花の命は……

では、私が愛したい葛藤とは?
この「葛藤の中身」ってなんだろうか?

それは歌詞に書かれている

花の命は なんて言って
色に出にけり感情を諦めたくない

このフレーズに尽きると思う。

花は散るからこそに、美しい。

日本に古来からある価値観。
そして、きっと正しい。

もし年がら年中咲いてる桜があったら、私は少し下品だと思うだろう。

散ってしまうから、終わってしまうから、美しく思える。

それなりに多くの人が共感できるルールだと思う。

ただ、それはそれとして、

綺麗なものを綺麗なまま見ていたいし、楽しいことは一生続いてほしい

って思ってしまうのも”あるある話”じゃないだろうか。

終わるから美しく思えるのか?
美しいから短命なのか?

その答えは私には分からないけど、この2つは切っても切り離せない関係。共犯者たちだ。

忍れど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで


心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまっていたようだ。
私の恋は、「恋の想いごとでもしているのですか?」と、人に尋ねられるほどになって。

ー『拾遺和歌集』平兼盛ー

主人公の「葛藤」は、古来から詠まれ続けてきた「恋心」と何ら変わりない。

「花は散るからこそに美しい」。
されど「散ってほしくもない」。

両立しない葛藤だけれど、どちらも本音で。もう抑えきれない。

色にも出てしまっているだろうし、何より主人公自身が「諦められない」と自覚してしまっている。

手に入らないものを「恋」と呼ぶのなら、この葛藤を願う想いは「恋」に違いない。

瞳を閉じて

冒頭述べたように、この曲は難しい。十人十色の受け取り方があると思う。

それを踏まえて、私の解釈をまとめると

「自分に嘘ついてない?」

じゃないかと思う。

それでも夜が優しいのは
見て見ぬ振りしてくれるから

ー『ジョバイロ』ポルノグラフィティー

夜とは内省の時間。

太陽は知らず、月も見て見ぬふり。

ひとりぼっちの時間。

そこで目が逢うんだとしたら、それはきっと”自身”に触れた瞬間。

この曲が「視線と葛藤の物語」だとするなら、夜空に咲く花火は「瞳」。

大小さまざま、色形はそれぞれ。

ひとつ…またひとつ……

咲いては出逢い、愛した端から消えゆく徒花。

最後に咲くのは、大輪の「冠菊」。

長く見つめ合う瞳は、寸暇を惜しむ思ひ人のようで。

長く伸びる引き足は、首をもたげるまつ毛のよう。

夢現は深い闇の中へ落ちていく。

焼き付けて。
目をそらさないで。

次に逢えるのはーー。

同じ夏は二度と来ない。
てかそもそも、同じ日なんてものは二度とない。

泡沫に終わる祭りも、変わり映えしない日常も、与えられた命は同じ。たった24時間ぽっち。

だったら、少しでも楽しい方がお得である。

珍しいことに、私の今夏は例年になく騒々しかった。いや、現在進行形で騒々しい。

ずっと推してるロックバンドの25thイヤーの真っ最中だからだ。

ライブツアーに始まり、メンバーの故郷の島”まるごと”使ったコラボイベント。ビーサン跳ばしに映画上映、島中の飲食店とのコラボ。

とても一日で回れるような物量じゃないから、週末になるたびにクリロナみたいな食生活させられてる。

極めつけは25周年のアニバーサリーライブ。2週続けてのライブなんてこの上ない幸せだ。

多分。おそらく。こんな機会はもう二度とない。

だから全力で楽しんでる。後悔なんてものは微塵も残したくないから。

そんでもって、その全力の分だけ切なくなるんだろう。終わってしまう寂しさのせいで。

よき思い出は、全力の先に実る果実。

祭りの後にゃ、酸いも甘いもまとめて”飴がけ”だ。”宝石”だ。”人生の宝物”にしてしまえ。

人生イチ熱いのは、いつだって今であるべきだ。

そんな歌なんじゃないかなーと、帰省した実家で聞こえてくる遠雷に思っちゃたりする。多分実家の匂いのせいだろう。

来年くらいは、ぼっち花火と洒落込もうかね。

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