まえがき
ミリオンライク展
学マス初声公演
シューマイ食べるやつ
アイマスイベントが乱立しまくった2024.08.25。
後ろ髪を関東方面にひかれながら、私は京都の地に足を運んでいた。時代が時代なら、首だけ飛んで千代田区辺りで落ちてたことだろう。
「アイマスの敵はアイマス」
この日ほど、この言葉を恨んだ日はない。
いろいろと無念もあったけど、ここに来たのには理由があった。
理由は、ただ一つ。
どうしてもどうしてもどうしてもどうしても。
どうしても…
叶えたい「夢」があったから――。
本記事は、2024.8.24-25の2日間、ロームシアター京都メインホールにて行われた3部制公演のラストを飾る「961 PRODUCTION presents『Re:FLAME/SUN』の感想記事になります。
……まぁ、感想記事とは名ばかりの回顧録です。
『DREAM』を聴けた喜びをハイボール流し込みながら叫んでるだけの記事。本当に嬉しかったから書かずにはいられなかった。
マジで思い出話しかしてないから、平安神宮の大鳥居くらい寛大な御心で見ていただけますと幸いです。
回想
私が『DREAM』を聴きたかったのには、もちろん理由がある。
もし、私のP人生の中で「最大の功績」と呼べるものがあるとしたら。
それは「最初にレンタルしたアイマスCDに”響が歌う『DREAM』”が入っていたこと」
を挙げざるをえない。
まだ「アイマス」の「ア」の字はおろか、カタカナさえ習っていない未就学児だった頃に出会ったこの曲に。当時高校生だった私は衝撃を受けた。銃弾に撃たれたような、なんて比喩さえ生温い。それほどだった。
ピースサインの代わりに虫取り網にぎらせても違和感ないハツラツ美少女が、灼け付き渇いた声色を発す。
アイドルソングらしからぬ尖った楽曲と感じたせいもあっただろうし、ジャケ絵とかけ離れた響のギャップによるものも大きかったと思う。
そもそも、そんなギャップが無くとも曲がつえぇ。
今も昔も僕の音楽嗜好は変わっていなくて、オリエンタルやらエキゾチックな音が好きだった。もうドストライクである。
最初に出逢ったのがこの曲でなければ、アイマスを好いていることもなかったかもしれない。
いまだそう思える衝撃だった。
私のP人生の始まりは間違いなくこの曲だった。
アイマス以外でも、この曲にはよう世話になってた。
学生時代はわりと部活少年だったから、「自分に勝てるのは自分」。このフレーズがすごく好きだった。「うぉぉっ!今日も頑張るぜ!」くらいのノリで球蹴りに勤しんでた。
なんか強くなれそうな気がするじゃん、この曲。それだけエネルギッシュだと今でも思うしね。
今じゃ考えられないけど、この頃の私はスゲー努力家だった。
晩飯の後に繰り出すランニング。お供するプレイリストの1曲目はコイツだった。
飽き性の私がそれなりの期間頑張れたのは、9割6分1厘くらいこの曲のおかげだったと思う。
私のアイマス史を語る上でも、我が世の春を語る上でも。
避けては通れぬ魔曲。
青春の1ページ。
我那覇響が歌う『DREAM』とは、私にとってそういう曲なんです。
はい、思い出話おわり。
ってな訳で、私が今回961公演に行った理由はこれオンリー。この1曲を聴くためだけに9,300円払ったと言っていい。
察しの言い方はお気づきでしょう。見切れ席です。ギリギリ滑り込んだ。
ぶっちゃけ私は、「961プロ」とか「プロジェクトフェアリー」に対して、あまり思い出や思い入れはない人間です。アイマスのコンシューマーゲームはやったことないから。
「SP」発売から15年。
その当時からこの機会を待ち望んでた方はいただろうし、3公演分の怒涛の落選メールを考えると、それなりに狭き門だったんだろうなとは思ってる。
「なんか申し訳ねぇな」とは思いつつも、私にとっても”滅多に来ない忘れ物回収チャンス”だった。
「初回公演で『DREAM』やっちゃってるじゃん」とか、「公演テーマ的に『Next Life』やんじゃね?」とか。
期待と不安。
どっちから来てるか分からん高鳴りを感じながら、エントランスに群らがってる黒に飛び込んでいった。
そんで、無事叶いましたってワケ。
こいつ「言うことなし」とかほざく癖に書くことはたくさんあるんやな、みたいなぐうの音も出ない正論はやめて下さい。傷ついてしまいます。
まぁ最高でしたね。知っちゃおったがダメ。人が狂う音がしとる。
その時の感想をここに書き連ねてもいいんだけど、その思い出は私の中だけで大事にしときたい。だから、ここには書かない。一丁前なことを言うてるけど、やっぱそれだけ特別な時間だった。ひとり浸りたい。
「んじゃ、今から何の話すんねん?」ってことになるんだけど、やっぱ名曲ってのは語り継がなくちゃいけない。どうかしなきゃ思い出になる。過去の遺物にしていい曲じゃねぇんだ。
令和も6年経つらしいけど、俺は『DREAM』の魅力を語らなくちゃいけない。
アイマスも20周年を迎えようかという今日この頃。現代においても刺さる楽曲だなと、強く感じた。
「名曲は時代を超える」
この言葉に嘘偽りはない。
ここまで読んだんだから、最後まで見てやってよね!
夢ってなんだろう
本曲はタイトルの通り「夢」を謳う楽曲だ。若かりし私がそうであったように、夢追い人の背に風を吹かす。そんな推進力を帯びてる。
ただ、その”夢の描き方”はわりと独特で、
私が夢になれるのなら
本音で行ける いつまでも
このひとつだけでも
このひとりだけでも
嗚呼守ってやる Dear My DREAM
ー『DREAM』―
“もう一人の自分”くらいの距離感で夢を描いている。この曲がやたら痛々しい切実に聞こえるのはそのせいだ。
本曲において”夢破れる”とは、”ひと一人死ぬ”のと同義。守れなかった夢は野垂れ死ぬ。
だからどんな罪も罰も甘んじて受け入れる訳です。死に比ぶれば易いんだから。
本曲に感じる推進力は「憧れ」由来ではなく、「死」からの逃避行、から来るものに感じる。
アイマスには、この曲と近しいスタンスで”夢”を描く楽曲がある。
「夢は自分を叶えるために生まれた証だから」
大正義『M@STERPIECE』である。
いつぞやのラジオで(星野)源Pも語ってたけど、このスタンスってのは割と物珍しいらしい。何を言っているかはこちらのブログで引用されてるので見てみて下さい。
http://pawn123.blog80.fc2.com/blog-entry-162.html
ポジティブとネガティブ。
両者で描かれる夢追う理由は対極。だけど、
「自分があって、夢がある」
この立ち位置はどちらも同じなんだ。上記のブログの総括としても同じことを言うてますね。
自分があって、夢がある。
この言葉を少しだけ角度を変えて捉えてみよう。すると、
「夢を追うことは自分を探すこと」
って意味になるんじゃないかと思う。
この価値観ってすごく大切だなと思う訳です。
特に、私みたいな意志薄弱人間にはね。
夢みることは活きること
怒らないで聞いて欲しいけど、私はミリPです。”ミリオンライブ”のPです。アイマスとの出会いをくれたASに感謝はしているし今でも好きだけど、現在の私はミリPです。
この線引きは、私の中ではすごく大事なんです。
ウソをつくのはしんどい。
分け隔てなく愛せる聖母に俺はなれない。
ASとミリオン。
そこには明確に順位がある。
「Act-3」がモヤッたのもそういうトコ。
冒頭述べた「ミリオンライク展」や「横浜中華街コラボ」だって死ぬほど行きたかった。ミリPを自称する以上、そっちに向かうのが道理だったとさえ思う。自分勝手に”後ろめたさ”みたいなものを感じてた。ホンマ面倒くさいやつやで、ワイ。
私が夢になれるのなら
本音で行ける いつまでも
だから、現代の私にも刺さる楽曲だと思ったんだ。
アイマスなんて所詮趣味。
だから、判断基準は「楽しいか否か」。そんだけでいい。
アイマスに浸ってると、そんな当たり前のことをたまに忘れそうになる。ごっこ遊びの弊害である。没入するのも程々にしないといけない。
俺は自分を殺す所だった。
「ミリP」とかいうレッテルで、『夢』に焦がれる自分を殴殺する所だった。
自分らしさなんてきっと
思いついたり流されたり
探し続けて歩いたその
足跡の話だから
―『黒い猫の歌』back number―
ウソをつくのはしんどい。
自分には正直であるのが1番。
曲がりくねろうがデコボコだろうが、”道”であることに変わりはない。
幾色かさねた先の”黒”だって、立派な黒だ。
「プロデューサー」だの「ファン」なんて言葉遊びだ。
大事なのは過程。
ゴールなんてどこでもいい。
今回のライブに行けて、ホントに良かったと思ってる。
「MRライブ」という新時代の可能性にも再度触れられたし。久しぶりに聴いてもやっぱいい曲歌ってると思った。
なにより『DREAM』を聴けたという喜びがあって、今の私にとっても大切な曲であるという気づきもあった。何遍でも言うけど、ホントにいい曲だ。
アイマスに出会って13年。
色々あったけど、1周回って同じところに立ち返ってる気がする。
「好き」には従順であれ。
しっぽを降る駄犬でいろ。
なんなら首輪つけて飼い殺してくれ。
エンターテインメントの本懐は「楽しむこと」。
なら、私はきっと正しい行いをしている。
だから、私には言う資格がある。
いつだって言っていきたい。
一夜に咲く破顔の上で。
まくとぅそーけー
なんくるないさー
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