まえがき
平日 AM2:00――
換気扇に吸い込まれていく紫煙をうつろに追いながら、『おジャ魔女カーニバル』を聴いて涙が止まらなくなる。
そんな経験、あなたにはありますか?
私にはあります。
副業がピークでぶっ壊れてたせいだけど、「オレ疲れてんなぁ~」って自覚した瞬間だった。
この一件を教訓に、『おジャ魔女カーニバル』は「疲労度を量るバロメーター」として重宝することを知った。人間なんてマジでポンコツ。いざという時のために“自分以外のものさし”を持っておくのは大切だと思うんです。
という訳で今回は、私が最近知ったバロメーター曲『始めのDon’t worry』をご紹介しようかと思います。
年度末でつまんないことばっかしてるあなたに”ぶっ刺さること間違いなし”の名曲でございます。ハッチポッチの予習・復習ついでに見てやって下さい。
なお余談ではありますが、「バロメーター」という言葉の起源は鎌倉時代の元寇襲来まで遡ると言われており、潮汐を知るため防塁に立てかけた木板「波浪目板」が語源であるとされています。豆知識としてお納めください(民明書房『防人に学ぶリスクマネジメント術』より)。
作詞・作曲・編曲:田村歩美
歌詞解釈
ハローハロー
Don’t worry 始めの一歩くらい
All right あるがままで行こう
本曲はサビやタイトルの言葉通り、「始めの一歩」を後押しするハートフルソング。だけど、むやみやたらに背を押すだけでない”懐の広さ”も感じられるのが本曲最大の魅力だ。
“進むこと”だけを美化せず、”立ち止まる”ことも愛おしく思わせる。ケツを蹴り飛ばさないタイプの応援歌。そんな魅力がある。歌詞がすばらしいのはもちろんだけど、「伊織×美希」のカップリングも大きな要素を占めているんじゃないかと思う。
現実主義な伊織と、夢みがち(物理)な美希。
締めすぎず緩めすぎず。お互いのちょうど中間地点。すんごいやんばい塩梅で、僕の背中を一歩分くらい押してくれそうな力がある。ちょっと頑張りたい時にピッタリだと思うんよね、この曲。
こないだ初聴して思わず極まったんだけど、感動した分だけ怒りが込みあげて来たよね。古参Pに対して。
なんでこんな名曲黙ってたんすか???
プレゼン足りてなくないすか????
HPも単独も近いんだし、もっと布教とか予習セトリとか出していただけませんか?????
とまぁ「今年のぶっ刺さったアイマス曲ランキング暫定1位」に躍り出てる本曲でございますが、今回は曲中に出てくるこのフレーズ、
単純でいたい
考えすぎてる自分は 黄色信号だと分かってるけど
人間て それが得意でしょ?
この部分について解釈を述べてみようと思う。
私はこの「黄色信号」に、この曲のすべてが詰まっていると思うんです。
システムオールイエロー
青はすすめ、
赤はとまれ、
黄は…………。
もし、あなたが子供に教えるとしたら何と伝えるだろうか?注意して進め?原則とまれ?どっちが正しいだろう?
道交法によりますと、
(黄色の灯火)車両及び路面電車は、停止位置を越えて進行してはならないこと。ただし、黄色の灯火の信号が表示された時において当該停止位置に近接しているため安全に停止することができない場合を除く。
とのことらしいが、要は「状況によりけり」が正解だ。進むか止まるか。その判断は当事者に委ねられている。赤信号や青信号と違い、黄信号にはこちらに裁量が委ねられているという特徴がある。
以上を踏まえて、最初の質問に戻ろう。
子供に黄色信号の意味を教えるなら――
法は万人に平等というのなら、あなたは幼子に対しても杓子定規に事実を伝えるのでしょうか?「状況によりけりだよ~」と懇切丁寧に教えてあげるのでしょうか?
多分しないよね、普通の人なら。
常識的に考えて「黄色はとまろうね」って言うんじゃない。だって”まぎれ”がないから。
無意識や慣れているだけで状況判断とやらにはひどく頭を使う。大人でさえあちこちで間違えるほど難解。しかも一瞬で答えを出すことを求められる。そんな高度な演算を幼子に委ねる。そんなもんは危うさでしかないんだ。「状況によりけり」なんて抽象的なこと言うくらいなら、最初から「とまれ」と叩き込んでやる方が安心。
不確実なものは”安全側”で見る
それが良識ある大人の鉄則だろう。
本曲における「黄色信号」とは、この価値観のことを指している。
僕たちが培ってきた価値観は、不確実なものに対してビビるように設計されている。大怪我しないためのリスクマネジメント。おばあちゃんの知恵袋と大差ない。経験知ってやつです。
だけどそいつには欠点がある。
こと「挑戦」といった概念とは相性が悪いことだ。
未知に足を踏み出す時、僕らの頭の中は理性と感性がケンカをするようにできている。安全側とやらに足を引っ張られるようにできてる。右足でアクセルを、左足でブレーキを。そういう”枷”を自らに強いる。人間なんてバグを搭載したポンコツなんです。
この曲ってスゲー怖い。マジで怖い。理解できな過ぎて怖い。私みたいな安全側に安全率かけるポンコツからしたら。
なぜ「始めの一歩くらい♪」などと飄々と言えるのだろう。その「くらい」が一番難しいんじゃないの?
交差点にノーブレーキでつっこむJKみたいなマネがどうしてできる。曲がり角の先が怖くないのか?
どうして、
どこも行けないスタートなんてあるはずはない
こんな言葉を、喜々として歌えるのだろう?
この曲を「バロメータ」にしたいと思った理由。
それは、思い出すからだ。
対峙してきた「黄色信号」を。
そして、数えるからだ。
「止まろう」と判断した、自分の「臆病」を。
僕の進む道にはいとも容易く「黄色信号」が灯る。
だけど「止まる」ことを選ぶのは、いつだって「自分」だ。リスクを恐れて踏み出さないのは「自分の意志」だ。この曲への震えは「感動」じゃない。震えるほどの「情けなさ」のせいだ。
そんな情けなさに対して、この曲は「それも”得意/魅力”でしょ?」って、優しく語りかけてくる。
冒頭に述べた”懐の広さ”ってこれなんすよ。
傍から見たら動けてないけど「頭の中」はしっかりと動いてる。進む意志はある。結果はないが過程はある。その事実に気づいて、肯定してくれる。準備は万端、きっかけが欲しい。そんな思惑を見透かしてるから「最初の一歩”くらい”」なんて気軽に誘ってくれる。
これよ、これ。この包容力、懐の広さ。分からない価値観に対して理解を示す器量の大きさ。こちらを見透かす高い洞察力。この曲にかかれば、僕はもう丸裸も同然。恥部もコンプレックスも筒抜け。隠すから恥ずいんです。隠さなかったら恥ずくないもん!すべてをさらけ出す開放感、さらけ出されてしまう背徳感、それがこの曲にはある。
そう、僕はこの曲に「バブみ」を感じている。
辿り着いた結論は「バブみ」。偉そうなこと散々抜かして「バブみ」。なにはなくとも「バブみ」。感性よりも理性よりも強大な力。『母性本能』に訴えかける「バブみ」がこの曲にはある。
かつて我が担当はこう言った。
「大人の服を着てる 子供なのよ」
担当の規範となるのがPの務め。
ならば、僕は演じよう。
「大人の服を着た でっけぇ赤ちゃん」を。
眠いから泣く。
腹減ったから泣く。
気に食わんから泣く。
やりたいから、やる。
本能と動作が結びつく単純を、僕は演じよう。
あなたも演じたくなってきたんじゃないですか?
やりたいことをやりたいようにやる”単純さ”が羨ましくなってきたんでしょ?
なら、一緒に演じよう。
れっつ、園児ょい!!!
りぴーとあふたーみー!!!せい!!!
おんぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
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