まえがき
「限りがないこと」と「とても儚いこと」
日本語は、なぜこの2つに同じ読みを与えたのだろう?まるで
「無限なんて夢幻に過ぎんよ」
そう諭されているようじゃないか。
ミリシタ8周年曲
『蝶々むすび』
ミリオン周年曲のラインナップに、また新たなバケモンルーキーが加入した。「もうそろそろ勘弁してください」の気持ちを込めてブログ書きます。
歌詞考察をしてたつもりが、いつのまにか感情ぶちまけるブログになっていました。甲子園とミリオンの周年には魔物が潜んでいます。
自分で読み返してもウザイので、読めるとこまで読んでね。
作詞・作曲・編曲:ナカシマ
歌詞考察
クレジット
作詞/作・編曲は、おいしくるメロンパンのナカシマ氏。Xのプロフ曰く「ダークさわやかスリーピースギターロックバンド」とのことらしい。
8周年のテーマが「学園祭に通じるような青春感と若さ溢れる雰囲気」だから、とてもピッタリな人選だ。
感謝も込めてメロンパン聞きかじりながらイベランしてるけど、たしかに爽やかで、どことなく暗い、物語性のある詞が多いように思う。ミリシタ初の試みである「レッスンパートの風景」とも相性が良かったんじゃないかな。
落ちサビからの進行、ドラマチックすぎるでホンマ。
蝶々むすび
君がめいっぱい結んでくれた
靴ひもの蝶々むすび 解かずにいるんだ
タイトルにもなっている『蝶々むすび』。これ以上ない言葉を持ってきたもんだとびっくらこいてる。
なんとなく『未来飛行』の「履き慣らしたダンスシューズに みんなの祈り込めて」に通ずるエモさも感じるよね。ぼかぁ、こういうフレーズに弱いのよ。
ふと「靴ひもを結ぶ機会」って大人になってから激減してることに気づいた。めいっぱい靴紐を結んだこと、ぼくは最近ない気がする。
レガースをグッと挿入して、ソックスをバァン太ももまで上げて、ひざ下で折り返してちょいダボッとさせて、右足から靴ひもをギュッと結ぶ。
そんなルーティンが私の学生時代にはあったんだけど、あれはあれで”小さい青春”だったんじゃないかなーと思う。靴紐をめいっぱい結ぶほど力むようなこと、最近の僕にはあまりない気がする。
ミリオンライブと言えばの「蝶々」でもあって、8周年の形象化としての「∞」でもあって、「青春や若さ」に紐づいた言葉でもある。
そんな要素が「蝶々むすび」という言葉にはしっかりと落とし込まれていて、改めて作詞家さんはプロだなーと思う。なんなら「プロどころかプロデューサー面した作詞家だったりします?」って半分疑ってる。
この曲って、すごくミリオンライブしてる曲だと思うから。
無限【むげん】
転んでばっかりだった僕には
それは小さくて大きな勇気の羽透明な勇気の羽
君となら大丈夫
冒頭で結ばれた蝶々むすびは、「主人公が受け取った勇気の象徴」として曲中で描かれている。その存在感は撞着表現であることからもよく分かる。そしてそいつは
震えるこの手 握る君の手も
震えていたから 強く握り返して
このエモい落ちサビで描写される”強さ”につながっていくわけだ。
自分の弱さと他人の弱さ。
その2つを天秤にかけた時、迷うことなく「他人」に手を伸ばせる人種がきっとアイドルってやつで。
誰かからもらった勇気が、また誰かを支える勇気になる。
それってすごくミリオンライブらしい”繰り返しのリレーション”を説いている。
そして”そのバトンは定型ではない”ってのがミソだ。
蝶はあんな薄い羽根で
噴水の虹を 鮮やかに横切ってく
小さくても確かにある勇気
-『Wonder Scale』倉本千奈-
想いの多寡は、器の大小に依存しない。
その形に固執しない。
平凡な「蝶々むすび」、「頑張れ」って言葉……。
そんなありふれたものに想いは託せるのだから、ガワはなんだっていい。
デカけりゃいいってもんではないし、なんなら小っちゃい方がいいとさえ思う。
大事なのは量じゃない、密度だ。
「何が」入っているかが重要で。
そしてそれは、僕らにもつながっていく価値観なんだと思う。
∞【むげん】
ひとつ個人的な話をば。
周年期間にミリオン関連グッズを断捨離する。
イベランガチ勢が血尿ながして走っているように、私も血涙ながしながら周年期間を過ごしているのですが……まぁいっぱい出てくるよ、ゴミがわんさか。
めちゃくちゃ面倒みた資さんうどんのレシート、ポチットップスの段ボール、アソビストアからの発送品に入ってたミリアニフライヤーズ、何度も通ったミリアニの半券、初めて折ったUOの残骸……
「あらあら、素敵なコレクションですこと」なんて姑に褒められそうな骨董品が、我が家のクローゼットにはたくさんある。私に流れるO型の血はクローゼットに凝縮されている。
毎年捨てようか迷いながらここまで残ってきた代物なんだけど、今年もそいつらは生き延びました。
誰がどうみてもゴミでしかないんだけど、僕にとっては外付けのHDDみたいなもんでして。触れれば何か思い出す、思い入れの品々だからだ。
モノやキオクは劣化する。
年取るほどにそう思う。
どれだけ楽しかったライブでも1週間もすれば大部分をメメントするようになって、より実感している。
だけど原始的な想いだけはそうじゃないんだ。
あの日もらった”熱さ”みたいなもんだけは変わらずそこにあって、触れるたびに胸の奥から込み上げてくる。
どれだけ時間が経っても、細かなことはすっかり忘れてしまっても、そこにありありと込められている。
何の変哲もない蝶々むすびに「勇気」が込められたように、僕の周りには知らぬ間にたくさんの「∞」が、形象化された「想い」が溢れてしまっていたのだ。
夢幻【むげん】
今年の周年はいつもより感傷に浸ってた。
『蝶々むすび』がいい曲だからとか「俺の担当、過去一マブくね?」とか。そういう理由もあったにはあったけど、一番のところは
ミリオンもいつまでもあるわけじゃねぇんだな
って当たり前のことを再認識したからだ。
ミリシタ8周年配信で狭間さんが「正直ここまで続くと思ってなかった」なんて言ってたね。個人的にはまぁまぁ衝撃受けてた。あんたが言うと重てぇよ。不安になんじゃん。8周年の祝辞がわりにリバーブロー食らわされた気分だった。いまになって内蔵が痛んできた。血尿も出そう。
その後に聞こえてきた「デレステ更新停止」の報せもそうだね。ミリオンよりも先に生まれて、間違いなく一時代築いてきたコンテンツだ。とても対岸の火事とは思えなかった。
あたりまえに周年が来て、あたりまえにライブがあって、あたりまえにミリオンライブがある。
いつぞや恵子さんも言ってたね。
そういうものが「有り難き」ことだって。
冒頭に書いたけど、無限なんて幻想です。僕が「今から大谷翔平を目指します!」なんて言うのと変わらん。要するに戯言です。
「夢は無限大」と言えど限度はある。多少背伸びするくらいが相場。それ以上を望むのは、不相応と笑われても仕方ない。
だけどもよ……
じゃあ、私が抱くこの感情はなんだ?
触れて溢れる熱さは何のためにある?
何故こいつだけ劣化してくれないの?
答えは単純、至極明快だ。
「ミリオンライブよ、永遠なれ」
分かっているけど止まっちゃくれない、僕の原動力がそう吠えるからだ。
無限は夢幻。
だからといって「無限であってほしい」という願いまでもがそうなのだろうか。
いや違うね。
断じて違う。
クローゼットに眠るガラクタに、キーボードを叩く指先に、ここに刻んだ16ptに。
込めた熱さは紛い物じゃねぇ。
間違いなくここにある。
書けども尽きぬ原動力を生んでいる。
自分でも鬱陶しいほどの熱を帯びている。
溢れて止まらないこの想いは、
幻じゃない。
僕が抱く想いは宙ぶらりんだ。
夢にも幻にも辿り着かない「わがまま」だ。
だからこそ、どこへでも行ける。
どこまでも行ける。
果てが無いことをそう呼ぶのなら、これはたしかに「無限」に違いない。
別にいいよね?
今年のテーマは「若さ」だもん。
身の丈に合わない不相応な夢も
「若気の至り」で許してくれるんでしょ?
ここまでキッショイ思想につき合っていただいたお礼に、私が好きな文章を紹介させていただきます。ぜひ一読してみて下さい。
「死を忘れるな」
生きてるだけで丸儲けよ。
毎日ミリシタがあるだけで脳汁が出るギャン中でいようぜ。
人としては終わってるけど、ミリPとしてはこの上なくシゴデキじゃんね。
周年とは、靴紐を結び直す期間だ。
今年も1年走りきれるように、めいっぱい締め付ける時間だ。
無限なんてもんは未来には無い。
そいつは僕らの足元に宿っている。
今にも飛び出したくてウズウズしている。
先払いしてもらった無尽蔵に任せて、僕は走りだそうと思う。
青春とは、走り続ける限り終わらないのだから。
そんな訳で「盛岡-広島」間の往復飛行機を予約しようと思います。
そのうち爆発するかもしれんな、我が青春……
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