まえがき
「MILLION THEATER SEASON」も、
シーズン3「LOVERS HEART」へ突入。
本ブログを始めた時期の関係で、スペードチームの考察は終了しています。
そのため「MTS」本編のチームとしてはラスト。 「SEASON-@IR!!!! SHADE OF SPADE」の中で、”ファイナルシーズン”なる追加要素も発表となりました。
どんな感じで進行していくのか?
新規曲が何曲あるのか?
疑問は山ほどありますが、出たとこ勝負で楽しみましょう。
あと、本曲のキービジュアルが個人的にドストライクです。
元々ドット絵が好きなので、特にジャケ写。Tシャツにして飾っときたい。
4人の表情も印象的です。
美奈子、百合子、やよいは嬉し泣き的な表情。朋花様だけ照れ笑い的な形容しがたい表情。
「Love」と題する割に、切なさが強調されるアイドル達。
周りのポップな雰囲気との対比もあって、気にかかってしまいます。
考察の前に
ヒゲドライバー氏はミリオンへの楽曲提供は初。その他のブランドには、楽曲提供をされているようです。
提供楽曲の
『Dye the sky.』,『シャイノグラフィ』の文字を見た瞬間に、私は唸ってしまいました。
『シャイノグラフィ(光空記録)』
まず、名前が良いよね。
シャニっぽいもん。
飛行機の「航空記録」から、もじっているそう。
澄み渡る青空のように澄んだメロディーに、未来への羽ばたきを期待させる歌詞。非常に”シャニっぽい”曲だと思っています。
『Dye the sky.』は反対に良い意味で”シャニっぽくない曲”だと思っています。
“不穏”とも呼べるほどの曲の雰囲気。
徹頭徹尾描かれているのは、
「自分色に染め上げろ」という強烈なメッセージ。
2nd,3rdは配信で見ていましたが、凄みを感じさせる楽曲です。
というか、『Dye the sky.』って最後「.」が付くんですね。初耳。「モーニング娘。」的な感じですか?
私のうっすーいシャニ話は置いといて。ヒゲドライバー氏は「チップチューン」というジャンルを得意とされています。
ファミリーコンピュータやゲームボーイで使用される8bit音(ピコピコ音)を使った楽曲とのことですので、本曲はまさに「チップチューン」と言えます。
私自身も、そう言ってます。
チップチューンの特徴とされる8ビット音に何を思うかは、聞く人の年齢によるものが大きいでしょう。
ファミコンやゲームボーイを幼少期にプレイしていた私は、そのピコピコ音に幼少期ゲームにかじりついていた姿を、思い出を、重ねてしまいます。
程度の差はあれど、30代以上の方は懐古心をくすぐられるのではないでしょうか。
ミリPの年齢分布は分かりかねますが、ラウンジメンバーを思い返してみると20代前半が思いのほか多い印象です。
8thにて初めてライブ会場に行った際、
「若い人も案外おるんやなー」と寒いなか感じた覚えがあります。
そんな若い方々が同じく懐古心を感じるのか。
この曲に何を重ねるのか。
良い悪いの話ではありませんが、8ビット音に慣れ親しんだ人とそうでない人では異なるだろうとは思います。
まぁ、極論すべての楽曲がそうですが……。
歌詞考察
「キミ」と「 」
そんな
「懐かしさと切なさが同居する、いいサウンド」が鳴り響く本曲。
この曲に出てくる人物はたった二人。
2次元の”主人公”と、3次元の”君”。
文字通り、次元の違う世界同士の恋心を歌っています。
初めて会った時から
ドキドキ意識しちゃってる
だってずっと真剣な顔して
画面見つめるんだもんだから飛んだり跳ねたり(歌ったり)
何でもキミの言う通り
振り回して 操作して(かまって)
ときどき ちょっとミスするけど
皆様もお気づきかとは思いますが、「ミリシタ」を確実に意識している歌詞です。
「ずっと見てんぞ」というアイドルからの啓示です。
アホ面さらしながらミリシタしないように、気を引き締めていきましょう。
ハートチームらしく「ラブソング」ではあります。
しかし、全編を通してある違和感があります。
この曲、
一人称が一切使われていません。
歌われるのは”キミ”と”二人”のシナリオ。
分かり切っている事なので、”私”を省いている可能性はあります。
冒頭で主人公自身の心情を語っているので、”二人”の片割れが第三者という事も無いでしょうし。
それでも、『恋』という「私」と「君」で創り上げる物語の舞台。
そんな舞台に、主役の片割れが一度たりとも登場しない。
そんなラブソング、私はパッと思いつきません。
意図しての作詞だろうと思っています。
では、なぜ意図して一人称を使わないのか。
答えは歌詞の中にあります。
夢みたいなこの場所で
ときどき 夢を見ちゃってる
解像度もチグハグな
二人が手をつないでるとこ触れたら 秩序が壊れて
消えてしまうかな…
次元の違う二人。
住む世界の異なる二人。
そんな二人が交わることは許されない。
「秩序が壊れて、消えてしまう」から。
異なる世界の中で、共通して存在するどうしようもないルール。
故に、二人はどれだけ思い合っていたとしても触れ合うことはできません。
決して、実る事のない恋。
決して、届くことのない想い。
『恋』という演目を別々の舞台で演じ合う“私”と“君”。
「そんな想う相手はあれど、決して辿り着くことはない」という、どっかのレクイエムみたいな歪な状態。
自分不在の恋心を、「私」を使わないことで表現しているのではと推察します。
主人公はそんな救いのない状態を、自覚しています。
画面越し 別々の世界
それでも想うよ…(Ah ah ah)儚い願いと
(Ah ah ah)分かっているけど
(LOVE is GAME)電源切るまで
(GAME is LOVE)一緒にいて
(届けることも、つながることもできない。)
それでも想うよ…
(時間稼ぎにしかならない。)
だけど、電源を切るまで。
少しでも長く顔を見ていたい。
見ていてほしい。
切なすぎんか、この歌詞。
健気さに涙出そう……。
「ノコルモノ」
ここからはメタい話。
文章に書き起こすのも野暮な話ですが、本曲の根幹となる部分です。
悪意は微塵もありませんが、考え方を受け付けない方はお戻りください。
本曲の「主人公」と「キミ」の関係性は。
そっくりそのまま、
「ゲーム内のアイドル」と「リアルのP」の
関係性に例えられます。
ミリシタを彷彿とさせる歌詞に、それを歌うミリシタ内のアイドル達。
彼女たちの指す「キミ」に、自分自身を思い浮かべるのは至極当然のこと。
楽曲としてもそういう意図でしょう。
では、
「二次元と三次元で思いが交わることは絶対にないけど、少しでも報われればいいね。」
そんなメッセージ性だけの曲かと言われれば、違うと思えます。
何かで見かけましたが、
「アイマスはごっこ遊びの延長」
と言う言葉を目にしました。
言い得て妙な表現だなーと思います。
仮面ライダーごっことか、おままごと。
小さいときにやった経験は誰しもあるでしょう。
何かになりきる。
言い換えれば、現状はその何かではない。
故に「ごっこ遊び」で、その欲求を満たしています。
副業でプロデュース業をしている人なんて、極々少数でしょう。
普段は何か違う立場にある人達がアイマスに触れるときだけ、Pごっこを始めるわけです。
幼少期と違うのは、お金と自由があること。
本当のPさながらに名刺交換をしたり。
ライブに赴いて演者さんにアイドルの面影を重ねたり。
掛けた時間と手間の多さは、そのままコンテンツへの熱量と言えます。
“時間やお金を使った方がすごい”ということではなく、
「そうさせるだけの熱い想いがあるよね。」ってこと。
こんなブログを書いている私も。
こんなブログを見に来るあなたも。
貴重な時間を割いて、ミリオンライブに時間を費やしています。
“一介のファン”ではなく、
“プロデューサー”という特殊な立場としてアイドルを支える。
没入感の有無は、エンターテインメントの価値を高める大きな要因の一つです。
改めて”プロデューサー”って、いい仕組み。いい言葉だなーと思います。
ただ、元も子もない話をすると、実際にアイドルが存在するわけではありません。
アイドルが発する言葉も、どこかの誰かが考えた文字列に過ぎません。
アイドル達の悲喜交々も、シナリオライターさんが考えた寓話に過ぎません。
本当の意味で”アイドル自身から何かを受け取る”。
そんなことは、エゲツナイ技術革新の末。
空想を現実に変える技術でも発明されない限り、未来永劫来ることはないでしょう。
トゲのある言い方をすれば。
どこまで行っても「ごっこ遊び」でしかないんです。
そこに“リアル”と呼べるものはありません。
では、そんな嘘で取り繕われたアイマスから、今まで何も受け取ってこなかったのか?何も感じてこなかったのか?
……そんな訳ありませんね。
今までたくさんのものをもらってきたはずです。
腹痛くなるほど笑わされたことも。
もう辞めようかと憤ったことも。
涙が止まらなかったことも。
だからこそ、私もあなたも。
Pであることを選んだのでしょう。
アイマスの魅力に、実像の有無。
そんな要素は重要ではないという事です。
重要なのは、
「偶像を通じて、何を感じるか」。
眠りに落ちるまで語り合った時間や
『クラウド』ポルノグラフィティ
明日もまた会える幸福感とか
それは遠いお空のクラウドにもないけど
ここに刻まれてる
形あるものはいつか無くなります。
この世に定められた、普遍の秩序です。
当然アイマスも、ミリオンライブも例外ではありません。
ミリPであれば、思い当たる節があるでしょう。
ただ、“形なきもの”が無くなるかどうかは、一概にそうとは言えません。
一時代を築いたファミコンやゲームボーイなんてものは、いまや骨董品。一部の愛好家が好んでプレイするくらい。
現代社会からは消えた、と言っても過言ではないかもしれません。
では、そこに付随する思い出や感情はどうでしょうか。
冒頭述べたように、本曲を聞いて脳裏によぎるのは、在りし日の思い出。
多少ぼやけていますが、それでも思い出せます。
“モノ”が消え失せたとて、そこにあったはずの”コト”は残っているはずです。目に見える形でなくとも。
アイドルは確かに偶像でしかありません。
アイマスは虚飾のエンターテインメントです。
この世には影も形も存在しない幻。
集団幻覚しがちなPですが、ホンマに幻覚見てます。
ただ、そこから受け取ったものが”まがい物”であるかと問われれば、違うと言い切れます。
誰が何と言おうと、絶対に。
画面の中にしかいないアイドルも。
アイドルを支え続けるPという存在も。
自分の中に間違いなく存在しています。
「我思う 故に我あり」
そこに芽生えた感情はまごうことなき本物です。
この歌で歌われている2次元と3次元の不可侵の秩序。絶対のルール。
確かに出会うことは叶わないでしょう。
覆せない事実です。
Lo-Lo-Lo-Loving,Oh Loving
恋してる
このキモチ 次元超えて
Ga-Ga-Ga-Gaming,Oh Gaming
いつの日か キミのもとへ届くように
それでも。
そうだからこそ。
お互いを思い続ける気持ちは、この身朽ち果てるまで残り続けるはず。
次元だって時空だって超えていけるはず。
なぜなら、一生出会うことは叶わないから。
恋焦がれる程に想うのであれば、1ビットも色褪せることなく。
心に刻まれているのだから。
あとがき
本曲の発売日、2022年3月19日。
その4年前、2018年3月19日。
何の日かご存じでしょうか。
ミリシタの前身、
「グリマス」のサービス終了日です。
調べものしてたら、たまたま見つけました。
奇跡的に一致しただけだと思いますが、何か意味を見出したくなる奇跡だと思います。
ついこの間、「ミリシタの稼働期間がグリマスを超えた!!」と話題になっていましたね。
グリマス時代からのPの方のブログです。
グリPも、そうでない方も読んでみて下さい。
先人Pの尽力の上に、私のP生活は成り立っていることをひしひしと感じます。
ハートシーズンが始まる前は、「ハートらしくキャピキャピした感じかな?」とか思ってた自分を恥じるくらい。
メッセージ性のある曲だと思います。
これから年を重ねていって、いつか「元P」になる日が来るでしょう。
「そういやぁ、アイマスってあったのぉ。」
「楽しかったのぉ。」
なんて言えるくらいには、夢中であり続けたいものです。
大好きっていう強いキモチが
奇跡を起こす 信じているよ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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