まえがき
世間的には”お盆休み”に突入した、今日この頃。
実家の墓の掃除や地域の夏祭り、子供の自由研究の面倒を見たりと色々と慌ただしいかもしれませんね。
そんなことより、
『Brand New Song』
(以下『BNS』)の話しようぜ。
語りたいことは山のようにあって、伝えたいことは海のようにある。
だけど、本記事では
1つに絞って書きます。
ネタバレしかしませんので、少しでも『BNS』に興味のある方は、先に読了することをおススメします。
特に、「このみさんP」については「読まない方が良い」まで言います。
この記事でネタバレを食らうのは、あまりにも勿体ない。
そんな悲しい『BNS』童貞の卒業、私は望んでいません。
上記の公式サイトで、全話無料で途中まで見れます。
試し読みをしてみてからでもいいんじゃないでしょうか?
それでも良ければ、短いながらも最後まで楽しんでやってください。
『BNS』のここが凄い
単刀直入に申します。
このみさんソロ3曲目
『To…』の描写が素敵すぎる
この1点に尽きます。
なぜ、そこまで刺さったのか?
それをこれから説明していきます。
ラブソング?
『To…』を「○○の歌」で表すなら?
この問いに正解は無いと思いますが、
「恋の歌」でしょ
私はこう答えます。
KOH氏お得意のEDMサウンド。
淡い恋模様をつづった歌詞。
オシャレポップなメロディーとリズムで切なさを謳うアンビバレントを、「名曲しか歌えない女 馬場このみ」が多彩な表現力で歌う。
『MS』屈指のラブソングです。
夜が明ける前に聴く
君と2人カーステレオ助手席は自動的
頼れる横顔がいい次の約束まだ言ってないでしょ?
『To…』
気づいて離れないで…
歌詞から察するに、
それなりの親密度のくせに、次の約束がないと不安で堪らない関係。
“友達以上恋人未満”をさまよう大人の恋愛。
それが私の中の『To…』という楽曲の解釈。
このみさんらしい「切ないラブソング」という受け取り方しかしていなかった。
だけど、『BNS』で描かれていた『To…』は違ったんですね。
私にとって、まったく新しい解釈。
ラブソング以外の解釈があった
これが、私がこの記事で伝えたい内容。
そこら辺をさらに深堀していきます。
一方通行
このみさんはアダルティなアイドル。
率先して誰かのフォローに回れる”大人らしさ”がある反面、自分のことを後回しにしがちな”大人らしさ”も併せ持っています。
俯瞰して周囲を見渡せるからこそ、自分の役割を把握してしまう。
「年長者」としてリードしようとするし、自分よりも未来のある若い子らに尽くそうとする。
自分自身に「年長者」のラベリングをしてしまう。
このみさんの大人らしさは、「自己肯定感の低さ」というデメリットも抱えています。
それを象徴するのが、この一コマ。
「あなた以外にはいない」
この一言にこのみさんは、言葉を失うほど感激します。
このみさんが如何に自分のことを大切に思えていなかったか
自分のことをどれだけ卑下していたか
それが痛いほど伝わってくる一コマです。
この前話に”同僚の成長”を目の当たりにして自信喪失している場面もありますし、先述の自己肯定感の低さは『BNS』内でも丁寧に描写されています。
自分のことを“自分以上に信じているP”がいて。
劇場には“自分の弱さを分かち合える友”がいる。
その気づきを得た末に、
『To…』を歌い上げる訳です。
話飛ぶけど、この絵ヤバいよな。
私がこのみ担当ではないから号泣で済んだけど、担当Pは直視できんだろ。
画力スゲーんだ。
んで、号泣しながら気づいたんです。
もしかして『To…』の宛先って「このみさん自身」
じゃないんかと。
そんなことに気づくと、タイトルの『To…』も納得がいくんですよね。
「to」って言葉は、「別のところに向かう動きとその向かう先にある対象」というコアイメージがある言葉。
何が言いたいかと言うと、
“出発点は考慮していない”ってことです。
他人を思いやるのは得意。
でも、自分のことは思いやれない。
一方通行の愛。
自己犠牲。
このみさんの愛情は、
「To」で成り立ってる。
人はそんな簡単に変わらない。
成長期ならまだしも、成人してしまえばなおさら。
『BNS』で”自分の弱さを見せられる成長”をしたけど、なんかあれば”ネガティブな大人らしさ”は顔を覗かせるよ。だって、根は変わらないんだから。
そんなこのみさんの自分の愛し方。
「To」でやり取りをするメールみたく、”送り手”と”受け手”で分かれたやりとり。
自分で自分を愛せないなら、
『To:自分』の手放しの愛情表現でいいじゃない。
それが、この楽曲じゃないんかなと。
片側一方通行
もうね…。
こうなると歌詞が全然ちがく聴こえるんよ。
可愛いねと言われてもまだ
素直に喜べないだって
妹みたく思うんでしょ?
これ以上見つめないで…
「可愛いね」と言う男と「どうせ妹的なカワイイでしょ?」といぶかしむ女。
ラブソング的な解釈なら、こんなニュアンスだと思うし、整合性は取れてる。
だけど、
素直に喜べない自分と「ホントは嬉しい癖に」っていじってくる自分。
自分一人で完結するやり取りにも聴こえる。
「妹みたく思うんでしょ?」なんてフレーズも、客観視の得意なこのみさんらしい”自身へのレッテル貼り”の揶揄。
そう聴こえる。
ねぇわがまましてもいい?
この恋煩いを 見つけてほしいの
そのひと時は苦笑いは無しだよ
素直なままでいたい
自分が”恋愛対象”の土俵にのっているかさえ不明な男とそのボーダーラインを飛び越えたい女。
ここでもラブソング的な解釈に綻びはないけど、
わがまま言えない自分に対して、「苦笑いしないでね」と我がままでいたい自分。
この解釈も筋は通る。
ねぇ甘えてみてもいい?
この恋が本当だと伝えてみたいの
その一瞬は嘘ついていてもいいから
優しく ギュッと抱きしめて
こことか最高にそうだよ。
ラブソングとして成立してるのは言わずもがな、
自分が自分に甘えられないことを理解してるから、「嘘ついてもいい」なんてワンクッション置いてる。
愛情表現してくれない男と、それにモヤモヤする女。
そう捉えても違和感ないし、綺麗なストーリーになる楽曲です。
だけど、
「自己愛」を歌う楽曲
そう捉えても違和感のない楽曲です。
『BNS』読んでなければ、この気づきはなかったと思う。
美麗なイラストと丁寧なストーリー構成。
ima氏の熱量が生み出した傑作回だと思っています。
愛情とは、体と体を寄せて、寒さを温めあうことなのだ
金子光晴
『To…』披露回は、『BNS』2巻 第七話。
タイトルは
「手と手繋いで」
このタイトル通り、作中では“手をつなぐ描写”が頻出します。
手と手を重ねれば、そこには熱が生まれる。
このみさんは、誰かの手を握るのが得意なアイドル。
“熱を分かち合うことが得意”とも言えます。
幸いなことに、人間には手が2本ついてる。
自分ひとりでも熱を作り出せる生き物です。
その分かち合いを「愛情」と言うのであれば、この曲はまだ「恋慕」の段階でしょう。
なぜなら、「To」だから。
冒頭に
『To…』は「恋の歌」なんて言ったけど、回答を修正いたします。
「恋の歌」であり、「自己恋の歌」
これが私の最終回答です。
いつか叶ってほしい恋ですし、叶った暁には呼び方を変えてもいいかもしれませんね。
『Dear』と。
あとがき
途中でも書きましたが、この曲が”片思いのラブソング”であることに違和感はありませんし、楽曲解釈を強要するつもりもありません。
どちらにも取れる楽曲であり、どちらで聴いても破綻しない。
作詞:KOH氏の凄さを垣間見ただけです。
あんだけ忠告したんだから、ここまで読んでる方は『BNS』読了済だと思ってます。
でも、もし。
まだ読んでないって言うんだったら、少なくとも2巻までは読んでほしい。
とても素敵な作品ですよ。
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