『囚われのTeatime』歌詞考察 ~ボイルした時計の皮むきはいかが?~

ミリオン
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まえがき

Chrono-Lexica カップリング
『囚われのTeatime』

表題曲同様、ユニットコンセプトである「耽美」やら「退廃」を存分に感じられる1曲だ。

常々思うのですが、MTWシリーズのカップリングは異常。もはや「カップリング」を名乗っているのが罪な気さえする。

『囚われのTeatime』
作詞:島みやえい子
作曲・編曲:大和

 

ラブソング?

本曲の解釈として最も自然なのは「失恋ソング」じゃないかと思う。

『dans l’obscurité』に似た壮大な歌詞に、メタルを基調とした激情を語るサウンド。

字面としても音としても良く似た世界観で、そこに繋がりを見出すのはとても自然な流れで。

あなた(=)との「思い出や未練(=Teatime)」に囚われて、次の恋に踏み出せない(=館からの脱出)でいる

神と離れてなお”アイシテの呪縛”に囚われている哀れな少女。

そういう解釈が妥当なのかなと。

色も覚えだす「お年頃ユニット(平均15.2歳)」であることも、この世界観の構築には欠かせない。

なぜなら”ホラーと恋”は、
とりわけ“悪霊と初恋”はよく似ているからだ。

階段でブリッジするのも、ベッドでクロールするのも、それは”ナニカ”によって引き起こされる超常現象。恋知らぬ者にとってどちらも「謎」なのだ。

そして「謎」に出会った時、人はどうなるか?

古今東西、そこには「畏敬」が生まれる。その典型的な例が『スペードのQ』だ。

ホラーに本気なミリPにぶっ刺さるのも頷ける”ホラーテイスト”に、「頭 体 どちらも 神か 何か それ以上」という歌詞に表れている”最上級の敬意(神格化)”。

「畏れ」と「敬意」のマリアージュを堪能できるこの曲は、「ホラー」と「ラブ」が”同じ感情をルーツにしている”という事実を描いている。

この曲もまた”平均13.75歳”の幼いユニット。なんとなく初恋の香りを漂わせるラブソングだ。

 

スぺQにしろ、囚われのTeatimeにしろ、お年頃のラブソングがホラーになりがちなのはコレのせいだと思うんです。

初恋という”謎”への畏敬の念が、まるで神話のような世界を構築し、退廃的やら狂気的なホラー要素が付与されるんじゃないかなと。

これは”お年頃”だから出せるニュアンス。中二誇大妄想の似合う”中学生くらい”だからこそのニュアンスなんすよ。

これがもう少し年齢層高めの、たとえば『リフキス(平均16.0歳)』くらいになるとどうだろう?もう少し生々しいというか、現実(既成事実)見てそうな”怖さ”が勝るんすよ。

『Luvliminal image(平均17.75歳)』なんて、掌の上で脳みそ転がすラブソングでっせ?実害のあるホラーをホラーとは呼びません。それはただの”事案”です。

クロノレキシカ楽曲の強さは、年齢と強く結びついた結果の高火力。

いつか訪れる退廃で、束の間の耽美。

お年頃だからこそ許された「装飾美ゴシック」なのだ。

 

そんな訳で「ラブソング」として非常に練り上げられた世界観だと思うのですが、それと同じくらい「これラブソングか?」という疑問も私にはある。

長々と語って申し訳ないけど、今回の本題はこちらです。

本曲はホント様々な解釈のできる楽曲だと思う。

これから書く内容は、あくまで”私の解釈”です。

あなたの”囚われのTeatime解釈”の参考にでもしていただけると幸いです。

 

ラスト○○分の衝撃!

本曲には「明日」と「Teatime」。この2つのキーワードがあって、それは

「明日」と「今日」

という単純な対比構造に言い換えることができる。

「明日」とは「誰かが助けに来てくれるはず……」という主人公にとっての希望、退屈な日々からの脱却のこと。

「今日」とはその願いが果たされなかったが故の慰め、退屈な日々に安らぎを与える”安定剤”のこと。

第一印象としては、”明日”という意思が先行していて”今日”は二の次。曲の最後でも「Teatimeには戻るから エスケイプさせて」と叫ぶあたり、

『 明日 > 今日 』

こういう優劣関係の、よくある”夢追い物語”。

そういうメッセージ性だと思っていた・・・・・

 

改めて歌詞を読んでみて、その解釈には一考の余地があることに気づかされた。

「意味が分かると怖い話」ってホラージャンルがあると思いますが、本曲は”それ”だと思うんです。

「とあるワンフレーズ」をきっかけに、すべてが瓦解するホラー作品。

 なんとも鮮烈に前提が覆される瞬間が、この楽曲にはある。

 

では、その瞬間とは?

それは  

囚われのエニグマ 夢うつつをさ迷い
身に覚え無きネメシス 時を知るすべも無く

ラスサビ前の

「時を知るすべも無く」

このワンフレーズである。

……これ、すごく怖くないすか?
僕は気づいた瞬間、思わずぞっとした。

「明日と今日の物語」だと思っていたら、
「”明日”やら”今日”って何すか?」

いきなし、そう言われたんすよ?

「明日なんて We don’t know」
「昨日なんて We forgot」

強烈に叫んできた言葉が、文字通りの意味で「知らない」し「忘れた」。

中身スッカスカ、声デッカいだけの”虚言”でしかないんすよ? 

 

願った明日があって、失望した今日があって、それだけ飲み干したTeatimeがあって。いざ後ろを振り返ると、ゴミのような昨日が転がっているだけ。

空虚な日々の繰り返しに、その境はいつしか曖昧になって、「昨日みたいな今日みたいな明日」。

混然一体とした”時間感覚”が宿った

「分ける」と「分かる」は同源の言葉だとされていますが、それは「分けられないものは分かりようがない」の言い換えでもある。

「時を知るすべも無く」というフレーズは、

彼女らにとっての”明日”がただ茫漠とした”ナニカ”

に変容してしまったことを指している。

そしてソイツは

「ねぇ 私たちここで お婆ちゃんになっちゃうの? そんなの嫌だわ 誰か助けてよ!」

いたずらに若さだけを喰らう存在として、彼女らに牙を剥いている。

正体不明の”ナニカ”に対する畏れ。

そういうものを何と言うんでしたっけ?

 

そう……もはや「明日」とは「ホラー」だ。

ダークギャザリングに出てくるトンネルの悪霊よろしく、希望の皮をかぶった“絶望”。むやみやたらと年を重ねさせるだけの“怪異”。それくらい忌避すべき存在に成り下がってしまっている。

不浄なる者が朝日に灼かれるのを拒むように、主人公は明日を知るのが怖い。空虚な1日が過ぎて、また空虚な一日が始まる。その事実から目を背けたくて仕方ない。

 

だからこそ、救いを求めたんだ。

異形と化した”明日”に撃ち込むシルバーバレット。

そう呼べる”希望”を携えたんだ。

だけどね 3時が来れば
そうなの 明日が来れば

甘い幸せ Teatime Teatime

それこそが
『Teatime』

明日になりかわって時を告げる、福音のひとときだということだ。

 

僕がなんとなしに考えていた前提はとんだ勘違いで、

明日 > 今日 』

ただ”一つの願い”だけを歌っている。

ってなことを考えると、やはりこの曲は恐ろしいんです。だって、この物語は”ループもの”。始まりとお終いのない物語なのだから。

仮に最初から「今日だけを願った楽曲」だったとしたら――この曲ってかなり印象変わると思いません?

背筋を震わせた館の描写は、堅牢な要塞のように安心感を放っていませんか。

明日を願う”いたいけな少女”は、うわ言を繰り返すだけの”ぶっ壊れた人形かなんか”に見えてきませんか。

 

不確実な「明日」に期待するのをヤメて、
確実に手に入る「Teatime」に身を委ねる

 

あれだけ浮世離れしてた楽曲に、なぜだかとても「教訓」めいた居心地の悪さを感じませんか?

 

 

かつてはこう仰った。 

神

 

 

明日のことを気にしてばっかの人間の末路がこれです。

毎日退屈した挙句、こんなことになったんだ。

「昨日の今日も明日って分かんない」どころか、「昨日」も「今日」も「明日」も分かんない。

そんな”つまんない大人”になっちまったんだ……

 

 

私なりの本曲の解釈をまとめよう。

『囚われのTeatime』とは、

「あなたにとっての”明日”とは?」

リスナーの心の臓を抉り出し、恍惚の笑みを浮かべながらそう問い掛けてくる。

めっちゃスプラッターな1曲なのです。 

 

 

明日の価値は

余談で申し訳ないが、ここでポルノグラフィティ『ネオメロドラマティック』という楽曲の一節を紹介させていただく。

自分の純情を スプーンにひとすくい
街に喰わせるたび 貰えるキャンディを
舌で転がしながら 記号化した言葉に
「助けて」というWordは 無いようだ
『ネオメロドラマティック』ポルノグラフィティ

この一節は、非常に簡潔に本曲のメッセージ性と「Teatime」の意味を説いている。

人生の大半はミリオンのポルノ……

まちがえた、ミリオンライブとポルノグラフィティで包含できます。囚われのTeatimeもろとも愛してあげてください。

 

要するに、世の大多数は純情を目減りさせながら生きている、ってことだと思う。

ここで言う「純情」とは、「本心」,「本音」,「夢」,「明日」くらいの言い換えをしてもいいだろう。

純情を世俗に消費させて、得られる「キャンディ」やら「Teatime」。そういった一時しのぎで腹を膨らます。そういう終身雇用制の「諦め」で飢えを満たす。

「つまんないコトはやめちゃえっ!」なんて理想論は”ただの記号”と化して、現状維持をよしとしている。

茶菓子を嗜みながら「腹いっぱい食いてぇ」と宣う。

そんな矛盾を抱えて過ごしている。

 

「Teatime」とは、
僕らが純情を消費して得る「安定」

『囚われのTeatime』とは、
未来に目を背けて安定に囚われがちな「人間とかいう操り人形を描いた楽曲

 

じゃないだろうか。

冒頭に「本曲をお年頃ユニットで歌う意義」を説きましたが、それはこういうところにもつながっている。

大人になるとは、背が高くなることです。見えなかったものが見えるようになることです。

子供から大人への過渡期。
「今日」から「明日」への視線の移ろい。

誰しもが通過してきた、なんならいまだに悶々としている“モラトリアムの苦悩”が、本曲の悲哀をより一層引き立てている。

これは”大人”にも”子供”にも出せないニュアンス。

“お年頃”だからこそ、出せるニュアンスなのだ。

 

そんな訳で第一印象からは想像つかないほど身近なメッセージを書いてんじゃないかと思うんです。本当イヤになるくらい耳の痛い楽曲。まちがいなくホラー。

だけど、ひとつだけ弁明をさせてほしい。

ここまで散々「安定」の価値観をコケにしてきたけど、囚われのTeatimeってそういうストーリーでしたっけ?そこに異を唱えてましたっけ?否定的に捉えていましたっけ?

「Teatime」とは悪である

そんなメッセージは、歌詞の中には一切感じられないと思うんです。

 

 

話変わりますが、私は『マイペース☆マイウェイ』という楽曲が本当に好きなんです。神かなにかそれ以上です、こいつは。

それは何故かと言うと、

「退屈」と「なんにもない」は
おんなじ意味じゃないって

「なんにもない日々」にも、それはそれで「価値」がある。

そう教え続けてくれるからだ。

 

「今日」と「明日」。
「変化」と「安定」。

そこに貴賤はない。
ただ差異があるだけ。

それぞれに一長一短があって、それはオセロのように容易く反転する”背合わせの関係”にある。

「どちらか増やせばどちらか減る」

そのルールに基づいている。

 

本曲で説いているのは、まさにそのルール。

館からの脱出という変革。
Teatimeという甘美。

それはどちらも至福であって、一方しか選べない現実。

だからこそ、選ばなくちゃいけないんだ。悔いの残らないように。

 

みんなで手を繋いで 抱きしめ合って眠ろう
私たち 運命共同体

 

“みんなでも、
“運命共同体”でも、
“機械仕掛けの神様”でもない。

眠らされがちな
自律神経ってやつでさ。

 

 

『囚われのTeatime』の物語を、あなたはハッピーエンドと捉えますか?それともバッドエンドと捉えますか?

もはや望み薄の「明日」に代わって、「Teatime」に希望を見出す

そこに白黒はっきりつけられるだろうか?

「現実逃避」ばかりしている負け犬。現状に幸せを見つけた「ポジティブシンキング」。

幸せと不幸せなんて、気持ち次第でどうとでも変わる。

この物語は決して”一つの視点や価値観”では語れない顛末を描いている。

冒頭に「様々な解釈のできる楽曲」と書いたけれど、まさにそうなんです。

どこから眺めるか、どこを切り取るか。

たやすく結論が変わってしまう物語だからこそ、本当にそう思うんです。

 

つまるところ本曲で言いたいのは、「明日に踏み出していけ」とか「今日を大事にしろ」とか。そんな二元論的なメッセージではなく、

自分の幸せくらい、自分で決めたらいかが?

そんな煽り文句じゃないかと思うんです。

 

「Teatime」にすがる人生は悪くない。平穏無事な日々にはかけがえのない価値がある。

意を決して「明日」を目指すのもいい。人生100年時代だからね。Teatimeと洒落込むには長すぎる。

その折衷案だって悪くない。その足し引きができるように、僕らは大人になっていくはずだ。

 

どれもが幸福に至る道で、どれもが脆い。

だからこそ

自分で決めた道なんだごまえー

これが正解だと妄信できる”バカっぷり”が、必要なんだと思う。

 

 

最後になりますが、ここまで読んでいただいた皆様に”我が神(ポルノグラフィティ)“の有難いお言葉を授けましょう。

あなたが立ち向かう受難の日々に、この艱難辛苦の時代に、どうか幸多からんことを。

行こうか 逃げようか
君が望むままに

幸か 不幸か
ネオメロドラマティック

咲こうともがいている
君の力こそ

こんな時代の
ネオメロドラマティック――

 

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