まえがき
人生には
『君だけの欠片』が”自分のために”歌われている
と思わされる瞬間ってのがあんじゃねーかなと思う。
作詞・作曲:
藤本記子編曲:福富雅之
『君だけの欠片』とかいう説教
「諷喩」というレトリックがある。要するに「たとえ話」だ。説教や宗教的・抽象的なメッセージを伝えるためのテクニックで、古今東西いたる所で用いられてきた。
『君だけの欠片』もそういう楽曲だ。
どこからどう見ても”2人”な本曲は、実のところ”1人”のことしか語っていない。「私と君」は自身の分裂であって、その出会いを物語調に仕立てだけ。
『君だけの欠片』に限った話じゃない。いわゆる「内省的な楽曲」には広く”2人”の構図が用いられる。パッと出てきたのは『Luna say maybe』とか。この曲だって結局のところ”過去と現在(もしくは未来?)”の話だし。
言ってしまえば「形から入らせる」構成が、「自己肯定」とか「内省」みたいなメッセージとは相性がいいんだと思う。
あくまで「他人事」の距離感で近づいて、受取ってもらえた瞬間
“他人の曲”だと思った?
残念!
“お前の曲“でしたー!
って言いたいんじゃねーかなと。
私にとって7thライブの『君だけの欠片』ほど、「残念!お前の曲でしたー!」って言われた楽曲はない。
あんなに鮮やかに「自分と対話」させられた瞬間はない。
「7th」とかいう凶器

先人も仰ってる(未遂)けど「コロナ禍」って受難の時代。
誰もが何かしら我慢や苦労しているのに、決して褒めてもらえない。あの時代にはそういう人がたくさんいた。「前だけを見つめてる人」がたくさんいた。そうせざるを得なかったし、”誰も”いなかったから。
きっとそういう時代だからこそ刺さったんだと思う。俺にも演者さんにも。
大丈夫 ずっと歩いてきた道
ちゃんと 今日へ 明日へ 続いてる
すごく近い所で“自分を見てくれている人がいる”って気づきがさ。
「14th」とかいう、さよなら
人生には
『君だけの欠片』が”自分のために”歌われている
と思わされる瞬間ってのがあんじゃねーかなと思うし、無くちゃいけないんだと思う。
よそ見する余裕がある内は、決して『君』は振り向かない。
もうすぐ「ミリオン14thライブ」が開催される。おそらく『君だけの欠片』が聴ける。本当に楽しみにしている。
だからこそ、万感込めて「さよなら」を告げる。
傷は舐め尽くした。充電期間はおわり。棘だらけ埃まみれの道を行こう。人生はガラクタに塗れてるうちが楽しいさ。
いつの日かまた出会ったなら――
キズだらけの俺を「わっはっは」笑ってくれよな。
長い人生だもん。
『君だけの欠片』に救われたり殺されたりしようぜ。



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